亀岡城下町

2009年10月29日 (木)

京都・亀岡祭を観ました (その2)

 「亀岡祭」の続きです。今回は、山鉾の巡行や町の様子と、祭に参加している沢山の子供達の様子などを、ご紹介します。

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 「三輪山」のお囃子の子供達です。小学1年生になると参加出来るそうです。
写真の子供達は、もう少し年上の様ですね。

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 大人の方の「音頭取り」です。山鉾の進行の音頭を取る大事な役目です。
この形は、「前に進め」です。格好良いですね。「鍬山鉾」の方々です。
 丹波の開拓神「鍬山大明神」を、ご神体としています。

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 山鉾によっては、神社前からUターンするのもあります。これは「翁山鉾」です。力を合わせての方向転換です。山鉾の中で一番大きな車輪(145cm)が付いています。その訳は、一番遠くから遣って来る為です。


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 こちらも、女性の方や子供達が多く参加しています。

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「高砂山鉾」では、お揃いの着物で参加です。謡曲の「高砂」の「尉」と「姥」をご神体として、お祀りされています。嬉しそうな女の子です。

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 「八幡山鉾」でも、女の子達が参加しています。

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 凛々しい姿ですね。

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 お祭の町の様子です。ここは、「楽々荘」と言う料理屋です。
トロッコ列車生みの親・田中源太郎の旧邸です。

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 こちらは旧家の様ですね。妻入りの建物です。
 しかし、この様に幕を張り、提燈を掛けているお宅は少なく、殆んどが提燈のみでした。

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 ここは、「鍬山鉾」の町「北町」の広場です。周りには、出店やステージが設けられています。午前の巡行を終え、午後から夜に掛けていろいろなお楽しみが有る様です。

 以上で、2回にわたる「亀岡祭」のご紹介を終わります。
尚、カテゴリー「亀岡城下町」で、今までにご紹介しました亀岡城下町に関する記事がご覧戴けます。
  次回は、薔薇愛好家の皆さんの、華麗な薔薇の花をご紹介します。

2009年10月28日 (水)

京都・亀岡祭を観ました (その1)

 京都市のお隣・亀岡市で催されている「亀岡祭」を、10月24日(土)午前に観に行って来ました。
 実は「亀岡祭」の
山鉾巡行を観るのは初めてです(山鉾が止まっているのは、以前観た事があるのですが)。
11基の山鉾があります。端的に言えば「ミニ祇園祭」です。

 私が感じたのは、お囃子が違うなあと思ったことです。
24日(宵宮)は御旅所である「形原神社」前で、それぞれの山鉾(お囃子が乗っている山車に限ります)が、約10分間程のお囃子の奉納があり、それをじっくりと聞かせて頂き感じました。山鉾連合会が出来て今年は50周年になり、その節目の年として、宵宮では初めての事だそうです。

 哀調あるものや、テンポ良く賑やかなものなど、聴き応えがありました。
鐘や太鼓は、子供達の演奏です。一生懸命にがんばっていました。
 なお、本祭は25日です。

 「亀岡祭」の事については、何時もの様に、後の方でご紹介させて頂きますので、もしご興味があればご覧ください。

 山鉾は、各々の町内から、「形原神社」に集まって来ます。
一番目は「難波山鉾」です。渡来人の「王仁」を、ご神体としています。
3つの町の合同によるものです。この山鉾の改装には、その経費作りの為、町の人びとの大変なご苦労があったとの事です。
日々の生活を切り詰めての事です。
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 どの山鉾も、屋根の上の鉾は倒しています。巡行時に電線などに引っ掛からない様にする為です。

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 「稲荷山」です。
稲穂を天秤棒で背負う「稲荷神の倉稲魂」を、ご神体として祀っています。

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 3番目の「三輪山鉾」です。大和の三輪山麓の大神神社のご祭神「大物主大神」を、ご神体としています。鳥居は、三つ鳥居です。

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 この「亀岡祭」は、亀岡の市街地から少し南に離れた所にある「鍬山神社」の秋祭なのです。そして、その御旅所が、ここ「形原神社」です。歴代の亀山藩主を祭神としています。ここで、各山鉾町の代表の方がお参りをしてから、お囃子を奉納するわけです。それを待ち受ける神社の役員の皆さんです。
 拝殿に掛けられている幕の紋章が、面白いですね。兎と鳩です。

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 お神輿は2基あります。25日の本祭の日に神幸祭が行なわれるとのことでした。中々立派なお神輿です。
このお神輿の屋根にも、兎がいますよ。神様のお使いですかね。

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 各山鉾は、鳥居の前に山鉾を止め、お参りをしてからお囃子を奉納します。
この「蛭子山」は、お囃子を持っていませんが、この様に山の正面を拝殿に向けて、お参りをします。釣上げた大きな鯛を抱いてニッコリと笑った恵比寿様をご神体としています。

 ここで、京都の祇園祭と同様に、各山鉾自慢の「見送り」を、幾つかご紹介しましょう。
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 これは、「稲荷山」の見送りです。「虎に仙人図」です。京都西陣で織られた大型綴錦です。

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 「翁山鉾」の見送りです。こちらも、西陣の大型綴錦で、「鳳凰額八仙人図」と言うものです。

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 最後は、「羽衣山鉾」の見送りと、胴懸(左手の赤いもの)です。何れも町衆の皆さんの手作りだそうです。折角ですので、その胴懸もご覧ください。

手作りとは思えません。立派なものです。

 「亀岡祭」について、ご紹介します。
「亀岡祭山鉾連合会」発行のパンフレットによりますと、その起源は室町時代に始まると言われていますが、戦国時代一時廃れたそうです。江戸時代になって歴代藩主の庇護を受けて町衆の力によって徐々に復興しました。
 祇園祭と同じく、籤取りや籤改めもあるそうです。江戸中期には、それまでの舁き山から曳き山に改修されました。現在、11基ある山鉾のうち、3基が山車で、8基は祇園祭と同じ様な大きな車輪が付いています。但し、車輪は直接地面には接していません。台車に付いた小さな車輪が、地面上を廻っているのです。山鉾の進行方向転換も、祇園祭程大袈裟でなく、中には梶棒が付いていてそれで進路の調整をやっていました。
 山鉾を飾っている織物類の中には、中国やペルシャなどから来たものもあり、有形・無形の民俗文化財として郷土の先人たちが残した貴重な文化遺産となっています。

次回は、山鉾の巡行や町の様子を、ご紹介します。

尚、カテゴリー「亀岡城下町」で、今までにご紹介しました記事がご覧戴けます。

2009年9月28日 (月)

京都府亀岡市内を歩く(その3)町家を訪ねて

 町家「本町カフェ」で、ゆっくりほっこりさせていただいた後は、町家を訪ねて歩きます。本町から、突き当たりの新町を右折して歩きました。
(実は道が解らなくて、誰彼かまわず聞きまわっていましたcoldsweats02

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その前に、本町通に入ったところにあった町家です。
 ”煙出し”や”虫籠窓(むしこまど)”が残っている立派なお家です。

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 本町辻子(ほんまちづし)です。3カ寺のお寺が並んでいます。
本町通から入ったコの字形に道が付いています。小さなお寺が目につきますeye

↓の駒寄せの有るお家もそうですが、白漆喰の壁が目立ちます。
これは防火性に富み、湿気を吸収して調整するので、季節ごとに気候が変化する日本にはふさわしい建材とのことです。



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 駒寄せ(人や馬などによって家が痛められないように取り付けられた柵)の有る家も残っていますが、街並み保存なのか、維持費が大変でしょうねlovely

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10月の「亀岡祭」に備えての行燈でしょうかsign02

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 タイムスリップしたような家並みが続きます。
東竪町辺りには、この様な町家が多く見られました。

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 犬矢来(いぬやらい)「軒下を通る犬や猫の放尿から壁を守る為にとりつけらている」の有る家も間口も奥行きも広くてとても立派ですgood

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玄関を飾る緑が爽やかで、住む人の優しさが感じられます。

 他にも町家はたくさん有りました。
もう一度訪れてみたい亀岡城下町でした。
最後に私の憧れ?の田園風景です。
JR亀岡駅から撮りました。収穫の秋も間近の様です。
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そして、今より若かったsign03時に登った、とてもしんどくて、懐かしい「牛松山」です。
その後・右手は、「愛宕山」です。
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 コスモスの「亀岡市内を歩く」3回シリーズは、今日で終わりです。
お付き合い頂いて、ありがとうございましたheart04
   次回は、植物園のお花にお願いしましたhappy01

2009年9月27日 (日)

京都府亀岡市内を歩く(その2) 町家「本町カフェ」でほっこり

 亀山城跡を散策してから、次の目的「本町カフェ」に向かいます。
なぜか、地名の標識が少なくて、道も京都市内のように碁盤の目になっていなくて、解り辛いpout 
 
 方向音痴のコスモスです。迷いながらも、「本町カフェ」の有る通りに来る事が出来ましたgood
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↑↓の写真、蔵の有る立派な家の屋根ですがユニークですね。
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 この屋根は、「妻入り建て町家」と言います。入り口が、建物の妻側にあります。「妻」とは、屋根の三角形の部分を言います。
「切り妻」と言う言葉もあります。

所々に、妻入り建て町家が見られました。
 
 町家ショップ「本町カフェ」はこのような佇まいの町に有りました。
上の妻入りに対して、「平入り建て町家」です。「平」とは、平面部分を言います。
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 「本町カフェ」を知ったのは、先日のNHK京都放送局の「ええとこ連れてって」で亀岡市を2回に分けて紹介されていました。
 唯、水・日の週2日のみの営業とのことで、日曜日に行きました。

お昼前で少しお腹も空いています。中に入らせて頂きます。
声をかけると、やわらかい雰囲気の可愛いお顔の女性が「noteどうぞ、どうぞ、中へ入ってくださいup」と笑顔で迎えて下さいました。

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畳の上に置かれた、可愛い人形や小物たちが迎えくれました。
 
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 私の好きな佇まいです。
お座布団に座ってゆっくりほっこりしたい方、如何ですかheart04
 
 メニューの中から、”手作り 本わらび”とグリンティーをお願いして、ホッコリ一息つきます。残念ながら、私は座れませんので、土間のテーブルで・・・

 後から入ってこられた、京都の若くて綺麗な女性(お口別嬪では有りませんgood)としばし、お喋りして。
 亀岡に来た目的は同じだったのですが、私は写真を撮りますから、ここでお別れしました。彼女はカメラは持っておられませんでした。
本当に愉しむのならカメラは不要ですねcoldsweats02
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 私はこれが昼食です。(後程、野菜ジュースとリンゴを食べましたが)彼女は手作りサンドイッチ(持参)にコーヒー。
「食べるものが無くては困ると思って」私とは大違いですhappy01
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 町家独特の黒くて太い柱の天井からはスポットライト。
これも私の好きな・・・・lovely
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 格子の外から入ってくる、柔らかい日差しが鉢植えの植物に優しく・・・

ここ「本町カフェ」はこんな陽だまりのような、ひと時を味わえるお店でしたsun
次回は、この後、城下町を散策します。その様子をご紹介します。
                       
                  コスモス  

2009年9月26日 (土)

京都府亀岡市内を歩く(その1) 亀山城と城下町

 京都府の中央部、京都市の西側に隣接する町”亀岡市”へ行きました。
京都・二条駅からJR
嵯峨野線でわずか21分。
 古くから京都とのつながりがあった亀岡市は、「敵は本能寺にあり!」との命を下した明智光秀が、その基礎を築いた「丹波亀山城」の城下町として発展してきた町です。
現在も、町のいたるところに、城下町としての面影を残していました。

 先ず始めに、亀岡駅に近い「亀山城」を訪れました。
現在、城跡は「大本教本部」となっています。
 亀山城の手前には、「南郷公園」があります。ここは、亀山城の北側のお堀の跡です。東西に長く延びています。春はサクラを中心に、四季折々の花が楽しめる様で、市民に親しまれている公園です。
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お堀の真ん中辺りから、東方向を見ています
Photo
 釣りを楽しむ人達の姿もありました。お堀の水は綺麗とは言えませんねeye
どんな魚が釣れるのでしょうか。魚籠にはまだ何も入っていませんでしたhappy01

公園の東側を回って、城跡に入ります。
宗教法人「大本」の聖地の一つで、「天恩郷」と言います。
受付で、見学したい旨申し出た後、「万祥殿」でお祓いを受けてから、決められたコースを歩きました。(案内の女性の方がとても親切でheart
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 時々散策や見学の人にあいましたが、城跡内は静寂です。
やはり、宗教的な雰囲気を感じました。

 天守閣跡は、教団の最も神聖な場所とのことで、立ち入る事は出来ません。
(このことは、案内の方からも何度も言われました。)

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天守閣跡に大きな銀杏の木があるそうですが、その木は明智光秀が自らが植えたものだそうです。

 城跡内を巡りながら、見学しました。

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城跡内には、池もあり萩の花も少しですが、咲いていました。
右手上に見えるのは、お祓いを受けた神殿です。

 石垣の石には、石を持ち込んだ大名達の印が幾つか見られました。
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この他に、丸や丸に縦一文字などがありました。
此処にいると、不運の武将・明智光秀の事を思います。
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 城跡を出て、町の中を歩き回りましたが、城跡の南側が城下町で、あちらこちらに城下町の名残が見られました。
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 お城の南側は、三重の堀に囲まれていた様ですが、ここは外堀の跡です。
親水公園になっています。
堀の一部には、建物が建てられており、野菜などを洗える場所になっています。
 実際に女性が野菜を洗っておられました。


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ここは、「呉服町通」の一角で、「火の見櫓」があったところです。
そして、亀岡祭(10月23~25日)
のかき山の「浦島山」の倉庫もありました(右手)。

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この辺りは、亀山城の「大手門」や「御館」(みやかた・藩主の住まい)などがあったところです。
鳥居が見えますが、「形原(かたはら)神社」と言い、形原松平信岑を主祭神として、歴代の殿様を祀る社として、明治13(1880)年に創祀されたものです(案内板によります)。
                 コスモス

    以下は平安人さんの説明です。
 
亀山城のことや、大本教団のことなどについて、手持ちの資料によってお話させて頂きます。
興味の有る方はご覧下さい。
 
亀山城は、天正6年 (1578)年、丹波平定の拠点として明智光秀が築いたもので、光秀没後、豊臣秀吉及び徳川家康の支配を受けました。
 徳川幕府が成立後の慶長14(1609)年に、岡部長盛が入封し亀山藩(5万石)が成立しました。そして、慶長15(1610)年には、天下普請により亀山城五層の天守が築かれました。亀山城の整備は、長盛の在任期にほとんど完了しました。
 城下町には、山陰道が取り込まれ、東西約4Kmの細長い町並みとなりました。 
 以後、明治維新までの約120年間、松平、菅沼などの譜代大名が藩主に就きました。明治11(1878)年に、天守閣は破壊されました。
 その後、明治政府は城跡を払い下げしましたが、中々買手が付かなかったそうです。
 
大正8(1919)年に、宗教法人・大本の教祖の出口王仁三郎(亀岡出身)が、天守閣と二の丸付近を買い取りましたが、昭和10(1935)年の第2次大本事件で破壊されました。その後に整備され、再建されて現在に至っています。

 なお、「亀山」が「亀岡」になったのか、不思議に思われるかと思いますが、明治2(1868)年に、伊勢の亀山との混同を避けるために、「亀岡」に改称したとのことです。
何か力関係でもあったのでしょうか。
それとも亀岡人の奥床しさによるものでしょうか。

次回は、この続きですが、今回の目的の一つでもある「町家カフェ」をご紹介します。

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