京都市のお隣・亀岡市で催されている「亀岡祭」を、10月24日(土)午前に観に行って来ました。
実は「亀岡祭」の山鉾巡行を観るのは初めてです(山鉾が止まっているのは、以前観た事があるのですが)。
11基の山鉾があります。端的に言えば「ミニ祇園祭」です。
私が感じたのは、お囃子が違うなあと思ったことです。
24日(宵宮)は御旅所である「形原神社」前で、それぞれの山鉾(お囃子が乗っている山車に限ります)が、約10分間程のお囃子の奉納があり、それをじっくりと聞かせて頂き感じました。山鉾連合会が出来て今年は50周年になり、その節目の年として、宵宮では初めての事だそうです。
哀調あるものや、テンポ良く賑やかなものなど、聴き応えがありました。
鐘や太鼓は、子供達の演奏です。一生懸命にがんばっていました。
なお、本祭は25日です。
「亀岡祭」の事については、何時もの様に、後の方でご紹介させて頂きますので、もしご興味があればご覧ください。
山鉾は、各々の町内から、「形原神社」に集まって来ます。
一番目は「難波山鉾」です。渡来人の「王仁」を、ご神体としています。
3つの町の合同によるものです。この山鉾の改装には、その経費作りの為、町の人びとの大変なご苦労があったとの事です。
日々の生活を切り詰めての事です。
どの山鉾も、屋根の上の鉾は倒しています。巡行時に電線などに引っ掛からない様にする為です。
「稲荷山」です。
稲穂を天秤棒で背負う「稲荷神の倉稲魂」を、ご神体として祀っています。
3番目の「三輪山鉾」です。大和の三輪山麓の大神神社のご祭神「大物主大神」を、ご神体としています。鳥居は、三つ鳥居です。
この「亀岡祭」は、亀岡の市街地から少し南に離れた所にある「鍬山神社」の秋祭なのです。そして、その御旅所が、ここ「形原神社」です。歴代の亀山藩主を祭神としています。ここで、各山鉾町の代表の方がお参りをしてから、お囃子を奉納するわけです。それを待ち受ける神社の役員の皆さんです。
拝殿に掛けられている幕の紋章が、面白いですね。兎と鳩です。
お神輿は2基あります。25日の本祭の日に神幸祭が行なわれるとのことでした。中々立派なお神輿です。
このお神輿の屋根にも、兎がいますよ。神様のお使いですかね。
各山鉾は、鳥居の前に山鉾を止め、お参りをしてからお囃子を奉納します。
この「蛭子山」は、お囃子を持っていませんが、この様に山の正面を拝殿に向けて、お参りをします。釣上げた大きな鯛を抱いてニッコリと笑った恵比寿様をご神体としています。
ここで、京都の祇園祭と同様に、各山鉾自慢の「見送り」を、幾つかご紹介しましょう。
これは、「稲荷山」の見送りです。「虎に仙人図」です。京都西陣で織られた大型綴錦です。
「翁山鉾」の見送りです。こちらも、西陣の大型綴錦で、「鳳凰額八仙人図」と言うものです。
最後は、「羽衣山鉾」の見送りと、胴懸(左手の赤いもの)です。何れも町衆の皆さんの手作りだそうです。折角ですので、その胴懸もご覧ください。
手作りとは思えません。立派なものです。
「亀岡祭」について、ご紹介します。
「亀岡祭山鉾連合会」発行のパンフレットによりますと、その起源は室町時代に始まると言われていますが、戦国時代一時廃れたそうです。江戸時代になって歴代藩主の庇護を受けて町衆の力によって徐々に復興しました。
祇園祭と同じく、籤取りや籤改めもあるそうです。江戸中期には、それまでの舁き山から曳き山に改修されました。現在、11基ある山鉾のうち、3基が山車で、8基は祇園祭と同じ様な大きな車輪が付いています。但し、車輪は直接地面には接していません。台車に付いた小さな車輪が、地面上を廻っているのです。山鉾の進行方向転換も、祇園祭程大袈裟でなく、中には梶棒が付いていてそれで進路の調整をやっていました。
山鉾を飾っている織物類の中には、中国やペルシャなどから来たものもあり、有形・無形の民俗文化財として郷土の先人たちが残した貴重な文化遺産となっています。
次回は、山鉾の巡行や町の様子を、ご紹介します。
尚、カテゴリー「亀岡城下町」で、今までにご紹介しました記事がご覧戴けます。
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