北嵯峨の東「広沢池」は何度もご紹介していますね。
京都市内を歩くのも好きですが、この周辺を歩くのも大好きです。
ここは、さしづめ心の洗たくでしょうか?
今回はじっくりと、この「広沢池」を巡りたいと思って、出かけました。
以前ご紹介した「きぬかけの路」を、東から来ますと御室仁和寺前を通り過ぎ、「宇多野」を抜けて、
さらに西に進むと「広沢池」の東南隅に着きます。
池の東南隅から、北西方向を見た池のほぼ全容です。
遠くの山は、市内から見える最高峰の「愛宕山」(924m)です。
広沢池の形は、丸みを帯びたほぼ正方形で、周囲は約1.3Km、
面積は約14万平方m、水深は最も深い所で約1.8m、
水量は約10万立方mあります。
池は灌漑用の溜池ですが、平安中期に建てられた「遍照寺」の池だと言われていたり、
8世紀に嵯峨野一帯を開拓した秦氏が造った原始的な溜池との説もあります。
歩けるのは南縁と西縁だけですが、周囲を時計周りに歩きます。
東縁には世界救世教の施設があり、北縁は多分道が無いのではないかと思います。
池の南の縁の中央から、池の北東方向を見ています。
池面に、その姿を映しているのは「遍照寺山」(へんじょうじやま)または朝原山あるいは音戸山です。
※「遍照寺」については、↓で説明しています。
池の東北隅辺りの景色です。茅葺屋根の建物がほぼ真ん中に見えますね。
春は桜の花が見事です。
池の南縁を西に向かって歩きます。
南の縁の真ん中辺りに来ました。
ここでは、毎年12月初旬に、池の水を抜いて、池で養殖している鯉や鮒などを捕まえ、販売します。
冬の風物詩「鯉上げ」または「池ざらえ」と言います。
毎年、見たいと思いながら・・・・(゚ー゚;
↑の石碑の近くには、この様な石仏がお祀りされています。
何か謂われでもあるのでしょうか?
南の縁のほぼ真ん中辺りから、池の中央のやや西向きを眺めています。
何の為の船か解りませんが、何時もこの辺りに浮かんでいます。
この池のアクセサリーかな?と思ったりしています。
池の反対側の道端には、この様な歌碑が建てられています。
「山の名の しめすごとくに 月よいま 遍く 照らせ 広沢の池」
近くにある大覚寺・大沢池と並んで、昔から月見の名所だったそうです。
そして、この池は池の北側にあった「遍照寺」の境内でもありました。
それらのことが、歌に詠み込まれています。
この歌を詠まれた松本 章男さんが選ばれた”広沢池”を詠った歌が、
この歌碑の傍に立てられていますので、幾つかご紹介しましょう。
藤原 定家 散る花に汀のほかの影そひて 春しも月は 広沢の池
後鳥羽院 広沢の池にやどれる月かげや 昔をうつす鏡なるらん
西行 宿しもつ月の光のををしさは いかにいえども広沢の池
他に 源 頼政 寂蓮 慈円 藤原 為家 二条為重
三条西実枝 肖柏 相玉 長伝 など
※「遍照寺」について、興味の有る方はご覧くださいね。
第59代・宇多天皇(9世紀末)の孫に当たる寛朝僧正が、
平安時代中期に池の北側に建立したお寺です。
その時に造られた広沢池のほとりには、釣殿・月見堂などがあり、
美しい風景を前にした大きな寺であったそうです。
しかし、早い時期に荒廃し、その後ここから南に約300mの所に再建され、今もそこに「遍照寺」は存在しています。
そこには、創建当時の遺像と言われる十一面観音立像と不動明王坐像があり、何れも重文指定されています。
寺の遺構はないと見られていましたが、近年一間四面の御堂跡が発掘され、平成4年に京都市史跡に指定されました。
この後、池の西南隅から、北に向かいます。
音楽は、”夏の終わり”を選びました。オフコースの方々です。
早く涼しくなってほしいですね。
お時間があれば↓(京 歩き)もご覧くださいね
http://mosume.cocolog-nifty.com/blog/
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