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2011年12月 9日 (金)

ぶらり見~つけた京都(”応仁の乱”山名宗全)

 今日の「ぶらり見~つけた京都」は、”応仁の乱”の立役者の一人?
西の大将・山名宗全の足跡を訪ねました。
 
応仁の乱は、室町時代中頃の応仁元年(1467)に起こった内乱で、
11年の長きにわたり争いが続き、京都の町を焼き尽くしました。
 我家のお墓の有る”天授庵”や殆どの神社仏閣がその被害に遭っています。
奇跡的に残ったのは大報恩寺(大根炊きの千本釈迦堂 紅葉の千本釈迦堂 )くらいです。


 応仁の乱は複雑と言われています。
細川勝元と山名宗全の権力争い、
将軍・足利義政の後を継ぐ義視(よしみ)と義尚(よしひさ)の継嗣(けいし)争い、
さらに斯波、畠山の両管領家の相続争いなどが絡み合って勃発した戦いでした。
 
何のために、誰の為に何が目的で戦ったのか?
調べれば調べるほどによく判らないと言われている”応仁の乱”です。
 
一説には東軍16万人、西軍が11万人もの将兵が入れ替わり立ち替り戦ったそうです。

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京都市考古資料館前にある”西陣”碑 です。

山名宗全を頭とする西軍の陣地は、今の五辻通大宮東の山名宗全邸跡辺りで、
”西陣”と言う地名の起こりです。

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ここら一帯が邸宅跡です。


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近くには、この様な碑が建てられています。

近くで見つけた椿でしょうか?
ホッと安らぎを戴きました。

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そしてお墓は南禅寺の塔頭”真乗院”に有ります。
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西陣があるなら、東陣もあった筈ですが、
その後の歴史によって消えてゆきます。
 西陣はその後、ご存じのように西陣織物が発達する事によって、
その名も後世に留めてゆくことになります。
 何時の時代も大小にかかわらず、争いは関係の無い人々までを
不幸にしますね。
 尚、”ぶらり見~つけた京都”はシリーズになっています。
カテゴリー”ぶらり見~つけた京都”をご覧くださいね。

 音楽は、本田美奈子さんで”Amazing Grace”を選びました。  

(京 歩き)↓もご覧くださいね
http://mosume.cocolog-nifty.com/blog/ 

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