« 京都市内にある名建築を訪ねて (その2) | トップページ | 南禅寺塔頭「天授庵」の水蓮の花、咲き始めました »

2011年6月19日 (日)

西陣の路地をゆったりのんびり

 西陣は広い町です(詳しい説明は↓に書きました。興味の有る方はご覧くださいね)が、
「歩いてこそ判る」は日々感じていることです。
 今日は北野天神さんの北側、西陣織の職人さんの路地を歩きました。
幾つかの路地が整然と並んでいます。
「間口が狭くて、奥行きが広い」ウナギの寝床の町家です。


昭和初期にタイムスリップしてくださいね。
それにしては車がモダン過ぎますね。
クーラーの室外機も。

050

↑とは違った路地です。
042

狭い玄関前にいかにもお歳を召した方?と思われ植木の並べ方に
母を思い出します。

054
 
046

↑の二本の路地とは違った道を歩いています。

0511
宅配の車と、朝夕はデイサービスの車が行き交います。
西陣織で生計を立てておられるお宅は少なくなりましたが、
時々織機りの音が聞こえます。
 上七軒の路地で聞こえる三味の音とは違った意味で、少し切なくなります。

053
夫々の隣組にはお地蔵様がおられて、子供たちを守っておられます。
お掃除や日々のお世話は、町内の方たちが交代でざれています。
伝統を大切に守って居られる人たちの思いを感じます。

(興味の有る方はご覧くださいね。)

「西陣」とは京都市上京区から北区にわたる地域の名称です。
 上京区内の東の堀川通から西の七本松通、北の鞍馬口通から南の中立売通あたりまでの範囲の中を指しているようですが、住所としては存在しなくて、どこからどこまでかは正確に定められているわけではありません。
よく聞かれますが説明がし難いですね。
  一般に西陣織など織物産業が集中した地域です。

 ご存じでしたか?日本で初めて映画館ができた場所でもあります。
今も映画館は残っています。

 織物産業は、鎌倉時代前半に綾織りの織り手がすでに集住していたことが知られています。

 「西陣」の名は応仁の乱で、西軍総大将である山名宗全が堀川よりも西に陣をおいたとされたことが由来です。
今出川通の大宮通と堀川通の間に西陣の史跡がありますが、
観光バスや市バスの観光路線バスでも説明しています。

 和装産業は京都を代表する産業であり、西陣はその中心地として繁栄してきましたが、和装離れにより活気がやや失われています。

 西陣の町家は西陣織の工場を兼ねていたものも多く、あちこちから西陣織の機織りの音が聞こえていました。
 最近は町家も減少し、近代的な建物に代わってきたと同じようにして機織りの音も少なくなりました。

お時間があれば↓(京 歩き)もご覧くださいね
http://mosume.cocolog-nifty.com/blog/

音楽は、”故郷を離るる歌”をお聴きくださいね。

« 京都市内にある名建築を訪ねて (その2) | トップページ | 南禅寺塔頭「天授庵」の水蓮の花、咲き始めました »

京都西陣」カテゴリの記事

無料ブログはココログ
2015年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のコメント

お勧めブログ