« 京都市内の周辺を歩く(南禅寺~伏見稲荷)(その2) | トップページ | 京都市内の周辺を歩く(南禅寺~伏見稲荷)(その3) »

2011年1月20日 (木)

「島原」花街の道、石畳風に・・・

 昨年末に、地元の新聞で「花街として栄えた島原の道を石畳風に整備する工事が完了した」を読んで、一度訪れたいと思いつつ、やっと12日に散策することが出来ました。
  1994年に解散した「島原貸席お茶屋業組合」が、最後の清算金を使って整備されたとの事です(島原の6町内の道、全長約900m)。

050_2
「石の質感に似たコーティングを施した。路面に切り込みを入れ、御影石の四角い石畳を敷き詰めたような道に仕上げた」との事です。

 太夫を抱える唯一の置屋「
輪違屋」の前で石畳をメインに撮りました。
ここの創業は元禄年間(1688-1704年)。
一度建物は焼失し、安政4(1857)年に再建されました。


048_2 

049_2
瓦の「高」の文字の意味は何を表すのでしょう?
花魁道中で花魁に差しかけている傘にもこの文字が書かれています。
調べてみましたが、解りません。
 ブログのお仲間から、「高」の文字は主人の名「高橋」に因むものである。
の情報を戴きました。今までの疑問が溶けてホッとしました。
次は日本で唯一現存する揚屋様式の建物、江戸期に栄えた「角屋」(国の重要文化財指定)です。

059_2

二階の窓です。 

060 
揚屋は今でいう料亭で、太夫や芸妓を置屋から呼び、宴席でもてなす場でした。
単に宴席だけでなく、文人や俳人らが集い、書をたしなんだり、和歌を読むなど、サロン的な存在でも有ったとの事です。


 京都では上七軒、先斗町、祇園甲部、宮川町、祇園東の五つの花街が知られています。
島原は、江戸期以来の公許の花街として発展してきました。
祇園等とはまた違った独特の元・遊郭「島原」の佇まいが私は好きです。


今も当時の風情が感じられる家が所処に残っています。
昔の
面影を忍びつつ石畳風の道路を散策されたら如何でしょうか?

« 京都市内の周辺を歩く(南禅寺~伏見稲荷)(その2) | トップページ | 京都市内の周辺を歩く(南禅寺~伏見稲荷)(その3) »

京都・花街」カテゴリの記事

無料ブログはココログ
2015年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のコメント

お勧めブログ