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2010年9月 5日 (日)

9月5日は母の祥月命日です

 母が亡くなって11年が経ちました。
亡くなった時も暑いと思いましたが、今年の暑さに比べて楽だったと、今になって思います。
亡くなって7~8年は何かにつけて涙が滲んだり、時には溢れたりもしましたが、時間は有り難いものですね。
 今は顔も姿も声も母そっくりになった自分に母の姿を重ねて、「ありがとう」の気持です。
 病床の母はお洒落で、私が勤めからの帰りに寄って、顔を濡れタオルで拭き、化粧水を塗るのを何よりの楽しみにしていました。
「お母ちゃん、綺麗になったわnote」の私に「そうか~up」の嬉しそうな顔が懐かしいです。


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 食べる事は出来なくて、点滴だけの入院生活でしたが、母は自宅に居ると思っていました。

「朝顔は咲いたかup
「綺麗に咲いているえ、退院したら見られるわ」
「愉しみやなあnote


「ぼちぼち寝よか~up」の私に「2階で寝るのか?」
 (その時はマンションに引っ越しして2年が経っていましたが、マンション暮らしは完全に忘れていたのです。
大好きだった山科に住んでいると思っていました。)
 
 眠ったのを見てから帰りましたが、帰宅してから「今頃目覚めて私を探しているのでは無いか、もっと傍にいてあげたら好かった」の後悔の日々でした。

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 母は末期癌でしたが、本人はそのことを知らずに、お陰さまで痛みも殆ど感じずでその事だけは好かったと思います。
癌が判明して即入院、入院期間1か月強。
 当時勤めていた兄と私の手を煩わせることも無く、私が勤めていた病院の理事長の言葉「お母さんは子供孝行されたなあ」は実感です。

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 誰もが思われる事かも知れませんが、生前に「もっと優しくしておけば良かった」は今でも思います。
後悔先に立たずですねweep
 母の生涯は苦労の多い日々でしたが、幸い2人の親孝行の子供に恵まれてconfident晩年は幸せな時間を過ごしたのではと思いたいです。

(写真は「日本フラワーデザイナー」協会主催の展覧会で写したのを使わせて戴きました。)

次は私の水彩画をご覧くださいねeye(クリックして戴けたら大きくなります。)


060_2

 妙心寺の壊れかけた土塀に誰にも知られずにひっそり咲いていました。
多分バラの一種だと思います。


母を亡くしてからの私の口癖?は
「お母さんと一緒に居る時間を少しでも多く持ってねheart

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