« 今年初めて「天授庵」に雪が降りました | トップページ | 雪の朝の「碧雲荘」と雪融けの「法然院」 »

2010年2月 9日 (火)

父の祥月命日

 今日2月9日は父の祥月命日です。
亡くなってから30年以上になりますが、今でも亡くなった日の事は鮮明に覚えています。
 その日は、日曜日でした。
担当医から「ここ数日だ」と聞かされていましたので、母は入院後は病室に寝泊まりしていましたが、兄と私は早朝から病室に居ました。
 目覚めた父は「歯を磨く」とベット上で起き上がりました。
その様子は、その数時間後に息を引き取るとは到底思えませんでした。
 呼吸困難に陥り、私の顔を見て「もう、あかん」と言い、その数分後に息を引き取りました。
その時の訴えるような眼差しは・・・・
 葬儀の準備や親せきに連絡するなど雑用が有り、父の死
を悲しむ暇もなく、
私はすぐに自転車で自宅に戻りました。
病院から自宅までは20分位でしたが、「お父ちゃんは死なはった」

 雪の通夜でした。
自宅の玄関を開け放して、お焼香の方々をお迎えしましたが、皆さまはさぞかし寒かった事と、改めて感謝の気持ちです。

003jpg0jpg1jpg2_2

(
両親の眠る南禅寺塔頭「天授庵」の庭の椿です。)
今年は絵を描いた日は、雪らしい雪は降っていませんので、昨年の写真を参考にして描きました。
(
A3のウエーターフォード・ホワイト水彩紙を使っています。
尚、写真は二枚ともクリックして頂ければ大きくなります。)

  父は蒔絵師でした。
若い頃、生家の福井の武生から京都に出て来て、三年坂に下宿していました。
(当時、下宿先の窓から描いた清水寺近辺のスケッチが何枚も有りましたが、今は残っていません)
 結婚してまもなく、戦争で漆が入らなくなり、仕事は無くなりました。
そして、徴兵検査で不合格だった父は、軍需工場で働かざるをえませんでした。
元々、身体が弱かった父は、冬の暖房もない、コンクリートの上での作業で身体を壊しました。

 戦後、漆が入ってきて蒔絵の仕事が再開することは出来ましたが、
急激に変わった時代の波について行けず、付き合い下手で、人との会話が苦手。
仕事の依頼が有っても、人の下につくことはプライドが許さず、結局、蒔絵をすることなく生涯を閉じました。
 父が京都へ出て来てから、故郷に帰ったのは私が小学生の頃が最後でした。

006jpg0jpgmjpgm_2

(同じく方丈の前の12月末の南天の実ですが、赤い実が印象に残りました。)

私は母よりも父に愛された記憶が強いです。
 物静かで几帳面な人でしたが、眼差しはいつも優しく、父の背中を見ていると安心感が有りました。
何故か思いだす姿は、文机の前に座っている後ろ姿です。

その後、随分長い間、自転車に乗っている時に必ず口ずさんでいたのが、
シューベルツの歌っていた「戦争は知らない」でした。

♪戦争の日は 何も知らない だけど私には 父はいない
  父を想えば ああ荒野に 赤い夕陽が沈む♪

父への鎮魂歌のように・・・

« 今年初めて「天授庵」に雪が降りました | トップページ | 雪の朝の「碧雲荘」と雪融けの「法然院」 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

無料ブログはココログ
2015年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のコメント

お勧めブログ