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2009年5月24日 (日)

京都・上御霊神社の御霊祭・140年ぶりの祭事 (その1)

 昨日までの3日間は”京都における明智光秀”についてご紹介させて頂きました。
 今日は、140年ぶりに行われた上御霊神社の御霊祭をご紹介します。
 「御苑に勇姿」上御霊神社 神輿巡行 (これは19日の京都新聞・朝刊1面の見出し)です。
 詳しくは追々ご紹介するとして、まず「上御霊神社」(かみごりょうじんじゃ)について、ご紹介しましょう。


 京都には、上と下の2つの御霊神社があります。文字通り「上」は今出川通より北にあり、「下」は今出川通の南にあります。京都市内は、主な神社の氏子圏が決まっており、最も大きいのは、松尾大社で、その次が稲荷大社。
他に今宮・北野・八坂・藤森の各社で、御霊神社も上・下合わせると前記各社と同じ位の範囲になっています。

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 さて、上御霊神社ですが、上京区にあります。平安遷都以前よりこの地に勢力をもった出雲氏の氏寺である上出雲寺の鎮守社であったとも伝えますが、式内大社の出雲井於(いずもいのへ)神社が相当すると言う説もあるそうです。

 京都には古くから「御霊信仰」(ごりょうしんこう)がありました。
疫病などが流行すると、それは怨霊のせいと考えました。
当時の政治の中で、この世に怨みを残して死んで行った人々の祟りと考え、その御霊を鎮めるために祀ったわけです。
都であった京都、人口が密集していた京都故の結果と思います。
当時は医学的な考えは全くないわけですから、そう思わざるを得なかったと考えます。

 この神社の祭神としては、早良親王(崇道天皇・桓武天皇の弟、長岡京遷都に絡む憤死)・井上内親王・他戸親王(桓武天皇に対する謀叛の罪)など13柱です。
 (北野神社も同じ事が言えます。こちらは、菅原道真の怨霊です。)

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 境内はかっては御霊の杜と呼ばれ、「応仁の乱」の戦端が開かれたところとしても知られています。石碑が建っているのですが、出店があって撮れませんでした。

 いよいよお神輿の登場です。全部で3基あります。
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 その1つ「末広会」のお神輿です。どのお神輿も、移動は台車に載せています。
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 こちらは、「今出川口」のお神輿です。この場所は、地元の桝形通(大原口)です。
鉾も5基ありました。その一部です。鉾差しは見られませんでした。
どこかで練習されていた様なのですが・・・。
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 いよいよ一行は、「御所参内」に向けて出発です。
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 河原町今出川の交差点での「神輿振り」です。何回も神輿を差し上げて揺らします。見ている方も段々と力が入ってきます。心が揺さぶられる思いになります。不思議ですね。日本人ですかね。
 もう1つの方(末広会)は、それ程の騒ぎはなく静かに通り過ぎて行きました。
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 宮司さんも、馬に乗って通られます。
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 御所の横を進む、八乙女の可愛い子供達です。
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 午後1時からの巡行ですから、途中休憩があるとしても、大分お疲れの様子です。もう少しですから、がんばって。只今午後4時半です。彼女らは、御所には入りませんでした。真っ直ぐ神社の方に向かった様です。

 次回は、いよいよお神輿の「御所参内」です。
 明日25日に続けてご紹介します。

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