京都・八坂神社へお参りしました

 京都人は八坂神社のことは親しみをこめて「八坂さん」と呼びます。
又、
かつての社名から「祇園さん」の愛称でも呼ばれます。
 9日の午前中、日差しの降り注ぐ中、久しぶりにお参りしました。
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 西楼門です。四条通と東大路通の交差する場所(東側)に有ります。
ここは、7月の
祇園祭(祇園会)で知られ、ほかに特殊神事として、大晦日の白朮(をけら)参りがあります。旧社格官幣大社
中世には二十二社の下八社のひとつとされました。
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時間が早い事も有って、境内にはまだいつもの賑わいは有りません。
四条通の騒々しさも埃っぽさも感じられません。
この緩やかなカーブは私のお気に入りですhappy01

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まず、本殿にお参りします。
心を清めてから、境内を散策します。

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 やはり最初は美の神さまで知られている、「美御前社」ですね。
若い娘さん達がお参りされています。
そして、↓の「身も心も美しく」美容水を手にとって肌に付けておられました。
効き目は有るのでしょうか。信じることが大切ですねlovely
「私ですか?」「勿論肌に付けましたわconfident
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境内には、冷静沈着なエビソードが残されている平 忠盛(清盛の父)の「忠盛灯篭」が有ります。
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南楼門から舞殿を写しました。

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南門を出たところに、老舗の料理屋さん「中村楼」が有ります。
門前では、ご主人自らが、掃除をされていました。

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途中で見かけました。着物の柄がトランプでした。
珍しくないですか?

ここは、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていましたが、慶応四年(1868年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、「八坂神社」と改められました。

又、八坂神社を総本社とし、素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする神社が、日本全国に約2300社あるとされます。
 この後、紅葉を求めて円山公園。
「ねねの道」「高台寺」そして、「石塀小路」と散策しました。  
           
順次ご紹介させて頂きます。  
                 コスモス                 

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京都府庁・旧本館とその界隈散歩 (その1)

 「京都府庁界わい・歴史を歩く」と言う、イラストマップを頂きましたので、早速マップを片手にカメラも添えて、その一部分を歩きました。
 マップには、発行:京都府・府庁旧本館利活用応援ネット、企画発行:NPO法人京都観光文化を考える会・都草 と書いてあります。
説明は、このマップに依らせて頂きました。

 まず、この周辺地域の歴史についてですが、何時もの如く(その2)に書きましたので、もしご興味があればご覧願います。

 始めに、京都府庁の旧本館を見学しました。明治37(1904)年12月20日の竣工です。昭和46年まで府庁本館として使われていました。
 平成16年には、国の重要文化財に指定されました。
ルネサンス様式に属する建物の外観は、正面の一段高くなった屋根を中心に左右両翼に対称に張り出した形になっています。
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 内部も公開されています。
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 玄関を入って直ぐの左に、この様な展示があります。
屋根に付けられていた飾りの様です。

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 2階への階段を上から撮りました。凝った意匠ですね。

 旧知事室の入り口です。格式を感じます。
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 旧知事室は、2階の南東角にあり、東側の窓からは比叡山が望むことが出来ます。67年間・24人の知事が使用していました。

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 旧知事室内の備品類です。

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 この様な物も有りました。ストーブですね。

 知事室に続く「正庁」があります。旧本館のシンボルとなる部屋です。
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天井しか撮っていませんが、和風建築の中でも格式の高い折上小組格天井で仕上げられた広がりのある部屋です。
今日まで数多くの公式行事や式典などが行なわれています。

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2階から出るバルコニーです。前方の通りは「釜座通」(かまんざどおり)です。
昭和37年には、人類初の有人宇宙飛行を成功させたガガーリン少佐が、ここで府民の歓迎に応えたそうです。

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 2階の廊下です。敷かれた赤いジュウタンの色が、天井や壁に反射して、柔らかな雰囲気を醸し出していました。

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 中庭の様子です。中庭には、昔の五条大橋の橋脚の石柱などが置かれていました。

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 現在の京都府庁・庁舎1号館です。右手に見えるのが、旧本館です。

 この後、庁舎の敷地内や周辺の史跡などを回りました。
後日ご紹介します。

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京都府立植物園・観覧温室のお花たちと・・・

 小さい花の撮影が大の苦手です。お仲間の皆さんは綺麗に撮られていて、「マクロレンズで撮らなければ・・・」とのお言葉゛。
それで、奮発sign02して中古のマクロレンズを買いました。
11月3日、早速、府立植物園の観覧温室へ向かいます。

 撮った写真の半分以上はピンボケcoldsweats02(「まあ、最初やしええか」と明るいB型ですhappy01
とりあえず、ボケ具合が少しマシなのを選んだのが下の写真です。
名前は調べませんでした。それどころや無いhappy02
 まず、園内の少し紅葉した木とサザンカの花をご覧くださいね。
勿論、普通のレンズです。

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サザンカは解り難いですね。


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これは葉っぱの一部だけが紅葉し始めていました。
私は、真っ赤も好いですが、グラデーションも好きです。(これは11月3日の状態です。今はもっと紅葉しています。)

では、本日のメインエベント「観覧温室のお花」ですgood
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言い訳ですが、観覧温室は植物のために、湿度と室温を保つ雰囲気にしてあるため、直ぐにレンズが曇るのですねcoldsweats02

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如何でしたでしょうか?

 それでは、又、レンズを付け直して(ホッとしますlovely
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椿園には「菊冬至」の名前の椿が咲いていました。
季節感が無くなりましたね。
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バラの花のようですね。
 これから、出来るだけマクロレンズ
を使う練習をしょうと思っています。
時々ピンボケをupさせて頂きますが、暖かい目でご覧下さいねconfidenteye
                 コスモス

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京都・琵琶湖疏水ハイキング 

 「琵琶湖疏水ハイキング」に参加しました。
これは、京都市上下水道局の主催で、「琵琶湖疏水記念館開館20周年記念」のイベントとして、11月8日(日)に行なわれました。

 コースは、蹴上の浄水場前で受付後、記念館に寄って、インクラインの軌道を歩き、ほぼ疏水沿いに山科・四ノ宮の船溜(ふなだまり)までの、約6Kmです。
 途中、5か所で疏水に関するクイズがあり、勉強しながらのハイキングです。
私は、カメラ片手に、景色を楽しみつつ歩きました。
 スタートが午前10時15分、ゴールは午後1時30分、途中休憩や昼食時間が約30分、全歩数は約15000歩でした。クイズは5問全問正解でした。
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実は、私にとってこの3日間は、琵琶湖疏水漬けでした。
6日が記念館での専門研究員の方の詳細説明を聞き、7日は記念館での講座、そして8日がハイキングと言う具合です。
 なお、「琵琶湖疏水」に関しては、後の方でご紹介します。

 記念館やインクラインは9日にここです記事をupしていますので、疏水の出口辺りから、ご紹介を始めます。

 琵琶湖疏水の工事の総責任者である「田辺朔郎博士」の銅像です。
右手には、設計図が握られています。
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 1861年、江戸生まれ。1883年、工部大学校(今の東京大学)を卒業。
第3代京都府知事の北垣国道に招かれ、琵琶湖疏水工事の責任者となる(1887年)。のちに京都大学教授となる。


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琵琶湖疏水が最後のトンネルを抜ける出口です。
右に見える建物は、御所に水を送るためのポンプ室です。
明治45(1912)年に建てられました。

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疏水から暫く離れて、国道旧1号線を歩きます。途中にあった「車石」(くるまいし)です。これは、江戸時代後期に東海道のこの辺りの坂道を往来する、米俵などを積んだ牛車が、少しでも楽に通行出来る様に工夫したものです。
石に車の巾に合った溝が付けられています。

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 江戸時代、ここ日の岡峠には刑場がありました。
ここで亡くなった人を供養する為に、ある僧が建てたものです。

 再び、疏水沿いに歩きました(それまでは、ずーっとトンネルの中を疏水は流れています)。
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疏水に架かっている橋の1つですが、「日本最初のコンクリート橋」です。
通行の安全のため、鉄枠が付けられていますので、一寸見難いかも知れませんが、白く光っている部分が橋の上面です。

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第2トンネルの西側出口です。トンネルは合計3つありますが、どのトンネルの出入口の上部には、上の様に扁額が取り付けられています。
また、入口の扁額の字は凹形に、出口は凸形にすると言う凝り様です。
 扁額の文字は、当時の偉い人が書いています。ここの文字は、西郷従道の「随山到水源」(やまにしたがいて、すいげんにいたる)とあります。
 他に、伊藤博文・山縣有朋・松方正義・井上馨・三条実美が揮毫(きごう・
特に頼まれて知名人が書を書く)しています。

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 疏水の流れは、岸辺の木々を映しながら、ゆったりと流れていました。

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 疏水のルートは、山の裾を辿りながら造られましたので、ゆるやかなカーブを描いて流れています。

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 両岸の木々も大分色付いていました。

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 疏水に沿って、俳優の近藤正臣さんの母校「京都府立洛東高等学校」がありました。コスモスさんは、近藤さんの後輩です。

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 ゴールの「四ノ宮舟溜」です。
左手奥に、暗くて見難いですが、トンネルの入口があります。

 「琵琶湖疏水」のことについて、少しだけ触れさせて頂きます(資料は、記念館で頂いたパンフレットから取りました)。

 京都にとって、琵琶湖の水を引くことは昔からの夢でした。
第3代京都府知事となった北垣国道は、明治維新による東京遷都により衰退した京都に活力を呼び戻すため、琵琶湖疏水の建設を構想しました。
疏水の水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにしようという計画です。

 福島県安積疏水の主任技師・南一郎平に琵琶湖疏水計画の調査を依頼し、大津・京都間の測量を島田道生に命じ、東京の工部大学校を卒業したばかりの田邊朔郎を土木技師に採用するなどの準備を進めました。

 着工は、明治18(1885)年。5年後の明治23(1890)年に完成。さらに、明治45(1912)年には、第2疏水も完成。こちらは、京都三大事業の1つです。三大事業とは、第2疏水の建設のほか、上水道建設、道路拡張と市電敷設です。その結果、日本で最初の市電が走りました。

 琵琶湖疏水は、まさしく明治から現在に至るまで、京都に命の水をもたらすと共に、今日の京都のまちづくりの基礎が出来上がりました。

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京都・天神さんで七五三参り

 11月はあちら此方で七五三のお参りをされる方が多いです。
京都でも各神社で賑々しく、和やかに催されますが、天神さんでも初日は日曜日との事も有り、お参りの方で華やかな着物姿が見られました。
 この日は、午後は雨との予報で、午前中にカメラを持って。

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ここは、梅林とお土居の紅葉が有名です。
シーズンは有料になります。
その前日位に訪れるのがラッキーなのですが・・・happy01
紅葉はどうかなぁ~eye(↑の写真は南門から入った所です)
結局お土居には上っていません(有料の前日6日に行きましたがweep)。
 境内を見ると、本殿の前に可愛い着物姿のお嬢ちゃんや坊ちゃん。
(”七五三”について調べてみました。興味の有る方は最後をご覧下さいねeye

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 仄々とした風景に心が和みますlovely
お嬢ちゃんは着物姿があまり好きでないようです。


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お父さまに説得?されて
でも、「何んとなく納得できないのconfident


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ご祈祷の申し込みをして順番をまちます。


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順番に本殿に上って、祈祷を受けます。
今日は神職さんも大忙しです。

では、境内におられた人達に登場して頂きましょう

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ヒョウキンな男の子達ですね。
女の子はカメラを向けると「はい、ポーズ」になりますね。

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白足袋に白い草履、一人前の装いですねgood

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私の好みなのですが、何んとなく不安なお顔が可愛くてlovely

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「疲れたなぁ~
まだ祈祷してもらってないけど・・・coldsweats02
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お母さまもお嬢ちゃんも色白でとても別嬪さんでしたheart04

次は、祈祷を済ませて、帰り道の子供達です

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 お母さまも心得たもので、履き替えさせておられました。
「草履は歩きにくいわcoldsweats02
↑の写真の男の子も、草履ではありませんねhappy01
 今、私は思い出そうとしています。
七五三てお参りに行ったのかなあcoldsweats01
少なくとも晴れ着は着せて貰っていません。勿論写真もcrying
               
興味の有る方はご覧下さいね。
七五三は、以前は15日に行われていました。
 15日はかつては
二十八宿鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされました。
 また、旧暦の11月は収穫を終えて、その実りを神に感謝する月であり、その月の
満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったとの事です。
 明治改暦以降は
新暦の11月15日に行われるようになりました。
現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土、日・祝日に行なうことも多くなっています。
 
3歳は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」、5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」、7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の名残りであるとの事です。
 又、
嵐山「虚空蔵 法輪寺」では十三参りも行われています。
十三参りと
は、生まれた年の干支を二度目に迎えた年、つまり数えで13歳になる子供が本尊から知恵を授かり、立派な大人になるようにとお参りする伝統行事です。
 もともとは虚空蔵さんの縁日である旧暦の3月13日に行われていたのが、現在では4月13日を中心に前後一か月が多いようです。
             コスモス

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京都・琵琶湖疏水と南禅寺

 京都・蹴上にあり、開館20周年を機に最近リニューアルされた「琵琶湖疏水記念館」で、専門員の方から直接お話が伺えると言う事で、11月6日午前9時に同館に行きました。
 予定より早く地下鉄・蹴上駅に着いたので、南禅寺境内にある「水路閣」を訪ねました。午前8時半過ぎ、人影が殆んど見られない「南禅寺」の境内、こんなに早くここに来たことは初めてです。

 いろいろな角度から、「水路閣」を撮って見ました。
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 「水路閣」のどこかにひび割れが発生しているとか。先日報じていましたが、さてどの辺りでしょうか。この上を「疏水分線」の流れが通っているのです。
「哲学の道」、「銀閣寺」の方に流れて行きます。
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 何時見ても、素敵な眺めです。明治時代、よくもまあお寺の境内に、このような建造物を建てることを認めた、南禅寺さんに敬服します。
賛否両論あっての事でしょうが。
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向こうに見える石段を登りますと、南禅寺でも重要な塔頭「南禅院」です。

 境内の紅葉が、ごく一部ですが見られました。
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背景は、南禅寺の山門です。

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上の一部のアップです。

 「琵琶湖疏水」関係の、いろいろな設備が、この周辺では見ることが出来ます。その1つが「インクライン」です。
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「インクライン」とは、琵琶湖からの疏水の流れと、南禅寺近くの舟溜まりとの水位の差をカバーする装置です。向こう側が、遠く琵琶湖側になります。
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この台車に舟を載せて、上下します。

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「インクライン」のレールの下を潜る「ねじりまんぼ」です。
煉瓦が捻れた形に積まれています。「まんぼ」とはトンネルのことです。
向こうに行けば、南禅寺に行き着けます。

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「琵琶湖疏水」の大きな役目が、水力発電でした。この建物は、「蹴上水力発電所」です。今は、稼動していません。

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これが、今回の目的地の「琵琶湖疏水記念館」(裏側)です。今回のリニューアルにより展示が充実し、貴重な資料も展示され、見応えがあります。
機会がありましたら、ぜひ一度お越しください。無料です。

 記念館(右手)と動物園(向こう側)に囲まれた一角です。
そして琵琶湖から流れて来た疏水の水です。
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記念館の2階ベランダから、西に向かって撮りました。右側が、上の写真につながります。左手は、インクラインにつながります。手前一帯は舟溜まりです。
 春になると、左手の坂の下から疏水めぐりの舟が運行されます。
2~3時間待ちの時があります。
遠くに見える建物は、京都ホテルオークラです。

 もし京都にお越しの節は、記念館を始め、この一帯(南禅寺も)をご散策ください。春も、秋も見所いっぱいです。

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華麗なバラの花は如何ですか!(^^)!

 「又、植物園のバラかcoldsweats02
何て言わないで下さいね。
 植物園を歩いていると、とても可愛い声で私を呼びとめるのですよhappy01
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バラ園のごく一部です。
もうそろそろ秋咲きのバラも終わりに近づいてきました。
遠くに見える山は比叡山です。

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思わず、立ち止まってしまうでしょheart

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このバラの黄色は上品ですね。

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触ったら花弁が散ってしまうような気がしません
人間なら男性にもてますねlovely

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 このバラ達は、植物園の職員さんやポンティアの方々が、心を籠めて育てておられます。

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どれも匂うような花でしょ

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今回のお勧めは↓です。
ええ色でしょ
この色はあまり咲いていなくて、カメラマンが集まって来られて、撮り難くてcoldsweats02
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 皆さんはどのバラがお気に召しましたかheart04
植物園の秋のバラのご紹介ももこれで終わりです。
又、来春を愉しみに・・・happy01
       コスモス

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京都御所の秋の一般公開 (その2)

 昨日の「京都御所の秋の一般公開」の続きです。
「清涼殿」から「小御所」(手前)・「御学問所」(右奥)に来ました。
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「小御所」に展示されている「軟障」(ぜじょう)です。初公開です。
白地に千年松を墨画し、縁は紫色小葵文様の錦をめぐらした幔幕(まんまく)です。即位礼についで大嘗祭が終わると、大饗(宴)が行なわれ、その時に天皇皇后両陛下の玉座の後ろに掛けられる幕です。
大正天皇、昭和天皇、今上陛下の即位の大礼に使用されたそうです。

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上の2つの建物の前のお庭(御池庭)です。木々は少しだけ色付いています。

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「御学問所」に置かれた「威儀者」(いぎのもの)です。黒色や緋色の袍(ほう)を着用し、挂甲・肩当を着け弓箭を持っています。

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上の右隣には、「威儀物奉持者」(いぎものほうじしゃ)です。
袍を着用し、威儀物を持っています。
持ち物によって袍の色が変わるそうです。
上・下共に初公開です。

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「御常御殿」の外側の扉です。格子戸の半分は、上に引き上げて吊るします。

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「御常御殿」前のお庭(御内庭)です。

 この後は、今年4月と同じく、例年は非公開の御所の北側に向かいます。
こちらには、皇后宮常御殿などがあります。

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 御所の最も北にある門「朔平門」です。近くの建物との間隔が狭い為、門の上部を撮りました。南の「建礼門」と対峙しています。
女御入内の儀式の際に用いられたそうです。

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 「朔平門」の近くにある「飛香舎」(ひぎょうしゃ)です。女御入内の儀式が行なわれた建物ですが、元来女御が日常過ごしていた場所です。中庭に植えられていた藤に因んで「藤壷」とも呼ばれていました。
何となく女性的な佇まいを感じます。

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 「若宮・姫宮御殿」のお庭の木々も色付いていました。

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 その横の建物で展示されていた「束帯」の男性と、「十二単」の女性です。
何れも正式の服装です。

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 その右横に展示されていた「二階厨子」と言う、室内調度品です。二段になった棚の下に両開きの扉のある脚付きの棚です。梨地高蒔絵螺鈿の桐竹鳳凰模様です。

 以上、2回に亘って、「京都御所秋の一般公開」の一部ですが、ご紹介しました。御即位20年に因んだ初公開の品々如何だったでしょうか。
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京都御所の秋の一般公開 (その1)

 「京都御所の秋の一般公開」が、11月1日から始まりましたので、私は4日の午前中に参観して来ました(10日まで行なわれます)。
 今回も、天皇陛下が即位されて20年になるのに因み、大正期以降の即位の式典に使われた品々が披露されています。
 では、参観の順序に従って、今回の展示の目玉を中心に、ご紹介して行きます。なお、人出はそれ程多くなく、ゆっくりと観る事が出来ました。

 何時もの様に、宜秋門(ぎしゅうもん)から入って、「御車寄」前を通って、「諸大夫の間」に向います。「諸大夫の間」↓では、今回初めて公開の2つの大きな旗が展示されています。
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右が「日像纛旛}(にっしょうとうはん)、左が「月像纛旛」(げっしょうとうはん)と言います。長さが約5.5m、巾が約90cmあります。
昭和天皇の即位式に使われました。紫宸殿の前の庭に立てられたそうです。

「新御車寄」では、、「五節舞」(ごせちのまい)が、人形2体で観られます。
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「五節舞」の様子です。宮中では、毎年の新嘗祭で演じられましたが、今日では、大嘗祭(即位後最初の新嘗祭)の折に演じられているそうです。この舞は、天武天皇が吉野宮で琴を弾いたときに、天女が舞い降り、その袖を5回ひるがえしたと言う故事に因んでいます。

 「承明門」(じょうめいもん)を通しての「紫宸殿」(ししんでん)などはお馴染みの情景です。
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「承明門」の傍に掲げられた写真です。高御座(たかみくら)の前で、即位のお言葉を読まれる今上陛下です。即位礼は東京で行なわれました。

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 「建春門」は、綺麗になっています。
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 今回初めての公開の「威儀物」(いぎもの)と言われる品々です。
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即位礼にあたって、儀式の威儀を整えるための物です。
飾り幕、太刀、弓、箭(胡簶)、桙、楯などです。

 「紫宸殿」の内部やその周りには、人形を使っての展示があります。
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その中の1つです。「内侍臨東檻」(ないしとうかんにのぞむ)と言い、内侍(女官)が、紫宸殿の簀子上の南東角で、親王や公卿などに昇殿するように、檜扇をかざして合図をしているところです。

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「紫宸殿」内の「高御座」です。今上陛下の即位礼の際には、東京に運ばれました。

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「清涼殿」です。平安時代には、天皇の日常の御生活の場として使われていました。
 
この続きは、明日ご紹介します。今回初公開のものが続きます。

尚、今年の春の一般公開の様子は、カテゴリー「京都御所・京都御苑」をご覧ください。

 

 

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京都市内の大路・小路を歩く 三条通(その1)

 「京都の大路・小路を歩く」シリーズの2番目は、「三条通」としました。
先の一条通と同じく、東西に通じる大路です。平安京の三条大路にあたります。

 三条通と言えば、やはり東の「三条大橋」からスタートすべきでしょう。
江戸時代は、ここから東に向かってお江戸日本橋まで、東海道の起点であり、終点だった訳ですが、私はここから西に向かって歩きました。
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 三条大橋の東北隅からの景色です。下を流れるのは、勿論鴨川です。

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 橋上から川下を撮りました。遠くに見える橋は、四条大橋です。今は穏やかに流れている鴨川も、かっては暴れ川でした。白河上皇は、自分の意のままにならないものとして、「鴨の流れと賽の目と延暦寺の僧兵」を挙げられています。

 天正18(1590)年に豊臣秀吉が三条大橋を架けるや、京都の表玄関となりました。今の三条大橋の欄干の擬宝珠(ぎぼうしゅ)にも、そのことが刻まれています。
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天正十八年 正月 豊臣初
 増田右衛門尉長盛 などが読み取れます
(興味のある方はクリックして別画面でご覧下さい)

 三条大橋の周りには、いろいろなものが建てられています。

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 江戸時代の勤皇家で、群馬の出身。5度京都に来ているそうですが、その都度ここで京都御所に向かって拝礼していたとのこと。題字は、あの有名な「東郷平八郎」です。明治維新の志士は、彦九郎を心の鑑と仰いだと言われています。橋の東側に建っています。

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 橋の東北畔に建っています。奠都50周年(京都から江戸・東京へ)記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が、大正6(1917)年4月27日、28日、29日の3日間にわたり開催され、スタートはここ京都・三条大橋、ゴールは東京上野不忍池の博覧会正面玄関だったとのこと。

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 東海道と言えば、かの有名な十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」の弥次さん・喜多さんですね。その像が、橋の西南畔に建てられています。
 
 
江戸時代の三条大橋の西には、旅館や土産物屋などが並んでいたとのことです。今も、僅かですがその面影を残しています。

「弥次・喜多」像の向い側には、船はしやの「五色豆」のお店があります。
その右隣は、以前「近江屋」と言う旅館がありました。
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その並びには、「加茂川館」と言う旅館があります。
玄関はこの様な造りですが、6階建てのビルです。
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 ここは、三条小橋畔です。高瀬川に架かるもので、この川沿いには、多くの大名屋敷が並んでいました。そんな関係があったのでしょうか。二人とも幕末の有名人です。

 この碑の先、左手にもお土産屋さんが3軒並んでいます。
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 真ん中は、木彫りの京人形のお店です。先に挙げました「東海道中膝栗毛」の中に同じ屋号で登場しているそうです。


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 (その1)の最後は、この石碑です。新撰組が、武名を挙げた所です。ここに集まっていた長州藩士たち20名を襲撃しました。ここは、以前パチンコ屋だったり飲み屋だったのですが、今度はきちんと「池田屋」を前面に出し、この記念すべき場所を整備して、商売をしているように感じました。石碑も、リフレッシュされています。以前は、排ガスなどで黒ずんでいました。

 この先は、河原町通ですが、後日ご紹介します。

次回は、現在開催中の「京都御所一般公開」の様子をご紹介します。
 今回は、天皇陛下即位20周年に因み、初めて公開されたものが有ります。

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