京都市内の大路・小路を歩く 三条通 (その2)

 京都市内の大路・小路を歩く 「三条通」 (東西の通り)の続きです。
漸く、河原町通まで来ました。その(1)「三条大橋からは」こちらです。

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 手前が河原町通(南北の通り)で、正面が三条通の入り口となります。

三条商店街に入って、すぐの右側の上にこの様な不思議なものが掲げられています。右下はトリミングしてみました。
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 これは、昔から有名な「みすみ針」の看板です。
かなり年季が入ったものの様です。
 近松門左衛門作「浦島年代記」に「高麗も唐土も及ばじ」とみえる京名産随一と書かれているとか。
 お店は、ビルの中の奥にありますが、まだ開店していませんでした。
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京都の繁華街の1つ、「新京極通」です。向こう側ずっと奥が四条通になります。 
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明治になって、当時の知事が京都再生策の1つとして造った通りです。
かっては映画館や演芸館(花月もありましたよ)などが並んでいましたが、近年大きく様変わりしました。お土産屋が多いですね。
修学旅行生のメッカでもあります。まだ朝が早いので、人通りも少ないです。

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 寺町通との角にある、お肉とすき焼きのお店「三嶋亭」です。
明治の文明開化の1つのシンボル「牛鍋屋」ですね。一度入りたいと思いつつ高そうなので、躊躇しています。

 ここから西に進むに従って、明治・大正から昭和の初期に建てられた建物群が続きます。これからの説明には、立命館大学文学部歴史回廊プロジェクト巡見の資料の一部を使わせて頂きました。
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 まず始めは、「1928ビル」です。1928(昭和3)年に建てられた、旧毎日新聞京都支局のビルです。写真を眺めて何かお気付きになりませんか。
 そうなんです。ビルの前面は人の顔です。そう思って見れば、その様に見えませんかね。

 かっては、この通りには有名新聞社の京都支局が並んでいました。
最後までここに留まっていたのが、毎日新聞社でした。

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これは、「弁慶石」と言われているものです(石碑の文字が見えますか?)。
傍に置かれている説明板によりますと、この石は弁慶が熱愛したと謂われていて、弁慶は幼少の頃三条京極(今の寺町三条辺り)に住んでいました。弁慶は奥州高館で亡くなりましたが、この石はその場所にあり、発声鳴動して三条京極まで飛んできたそうです。ところがその場所で熱病が流行り、土地の人びとが恐れて近くの寺に移し、以来この町が「弁慶石町」と言う様になったとのこと。
幾多の変遷を経て、昭和4年にここに落着いたそうです。
 弁慶と言う人は、いろいろと逸話の多い人ですね。

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 三条富小路にある「京都ダマシンカンパニー」と今は呼ばれているビルです。
明治23(1890)年頃に建てられたもので、元は「家辺徳時計店」でした。ビルの上には時計塔が立っていたそうです。

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 三条柳馬場にある「日本生命保険京都三条ビル」です。大正3(1914)年に建てられたものです。昭和59年に改築され、東側半分はこの様に保存されました。

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 「匂い袋」屋さんです。京都らしいお店ですね。

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 こちらもそうですね。1足でも作ってくれるそうです。

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 こちらは、京都市内では有名なコーヒーのお店です。

 「三条通」歩きも、ここらで一寸一服しましょう。暖かいコーヒーでもどうぞ。

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京都・宝が池公園を散策する

 16日の午前中、久しぶりに宝が池公園を散策しました。
天気予報では曇りがちとのことでしたが、やはり、お日様は時々顔をさす程度でした。
 地下鉄・烏丸線の終点・京都国際会館駅からスタートしましたが、最初は人の姿は殆ど見る事は有りませんでした。
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 公園の中に入っていきますと、ジョギングや散歩をされている方の姿が有って、ホッとします。
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(この風景は水彩絵の具で描きました)

 宝が池公園は京都市街の北端、景勝の地、松ヶ崎に有ります。
宝ヶ池を中心に国立京都国際会館、グランドプリンスホテル京都に隣接します。
 ここは江戸時代に農業用のため池として作られた人工池です。
それを市民の憩いの場として利用するために宝ヶ池公園が作られました。

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 比叡山を背景の国立京都国際会館と、ボート遊びが出来る池です。

四方を小山に囲まれた、周囲1.5kmほどの宝ヶ池を中心に、 山裾には梅や桜の森、林間広場などが設けられ、憩いの場となっています。


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 遊歩道は池を1周出来るように作られています。
池で悠々と遊ぶ水鳥を眺めたり、四季の景色を愉しみながらの散策は最高です。

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 風光を愛でて池畔の散策、木陰での団欒、小さな山登りなど、楽しみ方はさまざまです。
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  周囲は市街地で交通の便もよく、都会のオアシスと呼ぶにふさわしい公園です。
 綺麗な空気をいっぱい吸って、街中の喧騒から離れて、久しぶりにのんびり散策しました。
              

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京都・妙心寺の紅葉

 15日の夕刻、西日に誘われて、私の散策道の一つ「妙心寺」へ出かけました。

 数多く有る塔頭や子院を回って、見ごろのモミジを探しました。
モミジの全く無い所も有ります。
あまり期待していなかったのですが、思っていたより綺麗な紅葉を見ることが出来ました。

最初は「桂春院」の庭園です。
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何処までも続く、白い土塀に緑や色とりどりのモミジがとても綺麗です。

002↑をトリミングしてみました。

大雄院」です。
細い枝の小さなモミジにうっとりしました。
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蟠桃院(ばんとういん)」です。
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ここの真っ赤に紅葉したモミジは、カメラマンのお気に入りスポットのようです。

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ここは、又、長い土塀に沿って、様々な木が植えられています。

海福院」です。

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これからが愉しみな緑色のモミジが有ります。

大通院」です。

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額縁門のようですね。ここも人気のスポットで、写真を撮るのに順番待ちです。

最後は「退蔵院」です。


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この木はこれ以上紅葉しないのでしょうか
でも、上品ですね。


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外から塀越しに撮りました。

興味のある方はご覧下さいね。

 妙心寺は、右京区花園にある、臨済宗妙心寺派大本山の寺院で、山号は正法山です。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は花園法皇です。
 日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占めます。近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭寺院と子院が建ち並び、一大寺院群を形成しています。
 平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれています。
(詳しくはカテゴリの「お寺」の妙心寺をご覧下さい)
               

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バラ展に行きました(その2)

 京都府立植物園で開催されていた、「バラ展」の続きです。
あまりにも素晴らしい花ばかりで、沢山の写真を撮ってきました。
その中で、選りすぐったお花たちです。
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 このバラ達は「下書き」で眠っていました。
早く日の目を見せてあげなくては、賞味期限切れになってしまいますね。

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 上は何の関係も有りませんが、秋の果物と松茸が買えないので、
シイタケで代用して水彩絵の具で描きました。
 用紙はA3ですが、大きすぎてスキャナーは使えませんでカメラで撮りました。
実際の方が素敵なのですよconfident
(クリックして頂いたらもう少し大きくなります。)

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 世界遺産・京都・二条城内を散策しました(その2)

 昨日は二条城内の建物などをご紹介しましたが、今日はお庭や紅葉をご紹介します。
ここの庭園では何んといっても、二の丸庭園です。
広すぎて、到底全ては撮れません。その一部を二枚の写真でご紹介しました。

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 作庭の年代については記録や作風から推測して、慶長7年(1602)~8年(1603)頃(家康時代)二条城が造営されたと きに、その建築に調和させて作庭されたものと言われています。
 書院造庭園である二の丸庭園は神泉蓬莱の世界を表した庭園と言われ、また八陣の庭とも呼ばれています。


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次は、清流園です。
城内北側には、1964~65(昭和39~40)年に新たに作られた面積約16,500の清流園があります。江戸初期の豪商・角倉了以の屋敷から建物の一部や庭石約800個などを譲り受け、さらに全国から集めた銘石300個を使い、新たに茶室「和楽庵」を建てました。


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  清流園は、大きな流れを中心とする和風庭園と、芝生を主体にした洋風庭園からなっています。流れの設計は近代を代表する造園家の一人、中根金作氏らが中心になって行いました。
現在は市民大茶会を始め、二条城を訪れる賓客の接遇にも利用されています(通常は非公開です)。

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 城内の歩きますとこの時期、紅葉の美しさに目を奪われます。
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 春の桜は、華やぎが有りますが、紅葉には優しさが感じられますね。

     [お 断 り]
今までは、コスモスの作った記事は”コスモス”と書いていましたが、
どちらが作った記事も、お互いに確認して訂正や追記を行っています。
これからは、名前の記載はしませんので、
「つれづれ日記」として、ご覧いただければ嬉しく思います。

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 世界遺産・京都・二条城内を散策しました(その1)

 堀川通を市バスて通っていて、ふと、思いついて下車しました。 
(その1)では、建物などのご紹介。(その2)では、庭園などのご紹介をします。
 
 ここは、徳川家康の将軍宣下と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもあります。


 二条城の外堀を朝夕にジョギングしたりウオーキングされている姿をよく見かけます。
二条城は甲子園球場の6個分の敷地が有り、外周は約2キロです。
堀沿いには樹木が伸び、隅櫓(すみやぐら)に江戸の威風が感じられます。

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東南隅櫓です。


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西南隅櫓です。少し形が違いますね。


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国の重要文化財の二の丸御殿・唐門です。

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 二の丸御殿です。
二の丸御殿は武家風書院造を代表する建築で、その主要部は遠侍(
とおざむらい)・武家の屋敷で、主屋から遠く離れた中門のわきなどに設けられた警護の武士の詰め所)及び車寄、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の各殿舎からなり、これらが二の丸庭園の池に沿って雁行形に配されています。
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 二の丸御殿の一部です。
全景は撮れませんでしたが、少し「雁行形」の雰囲気は感じとって頂けたでしょうか?この日も、観光バスが並んでいてどうしても、人が写っていますね。


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 耐震性の問題が有り、公開されていませんが、本丸御殿です。
京都御所にあった時は、皇女和宮さんが住まわれていた建物で、御所から移築されました。

 元の本丸は焼失しために1896(明治29)年に、桂宮(かつらのみや)殿舎を移したものです。
 
045 今回初めて、天守閣跡に上がりました。五層の天守閣がありましたが、寛延3(1750)年に雷火によって焼亡し、以後再建されませんでした。
正面の山並みは東山連山と比叡山です。

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天守閣跡から撮ったお堀の一部です。
 膝を庇いながら心配しながら、石段を上がりましたが、天守閣から眺めた風景は素晴らしいでした。

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左側の高いところが天守閣跡です。
 次回は庭園をご紹介します。
                    
   [お 断 り]
今までは、コスモスの作った記事は”コスモス”と書いていましたが、
どちらが作った記事も、お互いに確認して訂正や追記を行っています。
これからは、名前の記載はしませんので、
「つれづれ日記」として、ご覧いただければ嬉しく思います。

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京都府立植物園の紅葉を愉しむ

 先日、天皇・皇后両陛下がお見えなりました我が大切なネタ元の一つ、京都府立植物園の紅葉をご紹介しましょう。
ここは日本で三本の指に入ると言われいます。
広さもさることながら植物の多さにおいても。
23日の昼頃出かけました。

いつものように北門から入ります。
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 園内には、家族連れやカメラを提げた人たちの姿が見えます。
朝からは曇り空でしたが、幸運にも、着いた時はsun

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明るい日差しを浴びて、紅葉がとてもまぶしいです。

私の好きな池を回ります。
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残念ながら、少し枯れているようですね。
訪れたのが、遅すぎたのかも知れません。
前回訪れた時は、紅葉は綺麗だったのですが、日差しが無くてweep

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枝が水面に映り込んでいますが解って頂けますか?

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木々の間から紅葉を楽しめるのはやはり、植物園ですねgood

森の中を歩きました。
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 この道は私のお気に入りの道で、先日水彩絵具で描きました。
今日は二度目ですが、雰囲気は変わっていませんでした。

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もう晩秋でしょうか?
人影が無いのが何故か寂しさを感じます。

この後、両陛下もご覧になられた観覧温室に向かいました。
後日ご紹介しますねlovely

               コスモス

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京都府庁旧本館とその界隈散歩 (その2)

 京都府庁の旧本館内の見学を終えて、地図を片手に構内や外部の周辺を歩きました。京都の場合、歴史の各時代に亘って史跡がありますので、その点を明確に示しつつ、ご紹介して行きます。
(「京都府庁の旧本館内」はカテゴリー”地域 歴史”をご覧ください)

①府庁の正門を入った右横にある「京都守護職屋敷」跡、                            慶応元(1865)年に完成しています。
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 幕末、京都市中の警備のために新設された「京都守護職」は、京都所司代や京都町奉行の上位にあり、強い権限が与えられていました。
 会津藩主の松平容保が就任しました。会津藩の京都の拠点は、黒谷・金戒光明寺など数か所にありました。この守護職屋敷は、「上屋敷」跡にあたり、現在の京都府庁全てを含む、広大なものだったとの事です。

②同じく正門の、左手の保安室の裏にある「京都慶応義塾」跡の碑、              明治7(1874)年に設置されました。
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 慶応義塾の分校で、当時当地にあった京都府中学校(現在の洛北高校)内に置かれていました。教育を重視する当時の槇村正直・京都府参事(のちに知事になった)の求めに、福沢諭吉が応じたもので、分校への入塾者は東京三田の本校へ移ることことも可能とされていましたが、明治7年9月に廃止されました。

③中庭(7代目・小川治兵衛の作庭)には、五条大橋の橋脚の石柱の一部も置かれています。
 天正17(1589)年5月吉日の文字が刻まれています。
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 3本の石柱は、旧本館が竣工した明治37(1904)年に、景石として持ち込まれたものと思われるとの事です。この石柱は、豊臣秀吉が建造した五条大橋の橋脚と考えられています。

④旧本館を出てから、時計の針方向(右回り)に歩いて、史跡を訪ねました。そして見付けたのが、「茶屋四郎次郎邸址」の碑です。
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 小川通と下長者町通の東南角にあります。京の豪商で、初代清延が徳川家康に仕えた際に、屋敷地としてこの地が与えられました。

⑤次に見付けたのは、「土御門内裏址」です。
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 ここは、京都ガーデンパレスと言うホテルの前です。最初の里内裏となったところで、鳥羽・崇徳・近衛と続く三代・24年間、天皇の仮御所となっていました。
保元元(1156)年の保元の乱で廃絶しました。

⑥さらに、「清和院并(ならびに)土御門内裏跡」
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 「京都坊目誌」によりますと、中世この地に清和院があったとされていますが、詳しくは不明との事です。室町通中長者町下る東側にあります。

⑦少し南に下って、西に入ったところにある「水戸藩邸跡」です。
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 下長者町通烏丸西入る北側にあります。水戸藩の京屋敷で、貞享3(1686)年に、ここに置かれました。直ぐ東は、京都御所です。水戸藩の京都に於ける活動の拠点でした。元治元(1864)年の「蛤御門の変」により、焼失しました。
「蛤御門」は、目と鼻の先です。

⑧旧二条城跡
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 ここは、以前にご紹介していますが、室町通と下立売通の南西角・平安女学院の敷地の一角にあります。この二条城とは、織田信長が将軍足利義昭のための居城として、建てたものです。
 平安女学院さんが整備され、説明板を立てられています。

⑨斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址
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 こちらも、平安女学院の一角に立っています。場所は、室町通下立売下る東側です。勿論きちんとした説明板も立っています。
 それによりますと、斯波氏は室町幕府第一の家格として、三管領の筆頭の家柄で、御所等を守護していた兵衛府の唐名・武衛の邸宅=武衛陣(ぶえいじん)と呼ばれていました。
 後年室町幕府第13代将軍・足利義輝(1536~65年)が、この地に邸宅を構え政務をとっていました。しかし、永禄8(1565)年松永久秀らに襲撃され死去、邸宅も焼失しました。
 織田信長は、この地を拡張して、旧の二条城を建設しました。

 以上の様に、京都府庁の周辺には、
  平安時代は、藤原氏をはじめ貴族の高級邸宅地であり、天皇の里内裏   (仮の御所)がありました。

  南北朝時代には、土御門東洞院内裏が、皇居として定着し、今の京都御所となりました。その後公家も御所の周辺に集住し、公家町を形成しました。

  室町時代には、将軍や管領の邸宅が造られました。旧・二条城が造営されています。

  幕末には、京都守護職屋敷が設けられました。
 
 各時代の史跡が多く残っていますが、範囲をもっと拡大すると、驚くほどの史跡・旧跡がまだまだあります。

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京都・愛宕街道へ紅葉を求めて

 今回の紅葉を求めて歩くシリーズも今回で終わりです。
ここまで歩くつもりは無かったのしですが、秋の嵯峨野の魅力に惹かれて・・・heart04
愛宕街道までやってきました。
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この一帯は、「嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
約600メートルの区間に、町家や草葺きの民家が並んでいます。

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私の大好きな佇まいですheart
草葺きの家が続きます。お日様が当たらないためか、苔むしています。

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鳥居は、愛宕神社の「一の鳥居」です。

今回は愛宕寺のお参りは止めて、鳥居迄としました。
足も結構疲れていますcoldsweats02
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「鮎の宿・平野屋」さん

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「つたや」さんです。

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沢山の民芸品が並んでいます。
 嵯峨野の秋を堪能して帰路に向かいます。
大覚寺まで戻ってバスに乗りました。
今年の紅葉はもうええなぁhappy01
 尚、愛宕街道については、以前に詳しく紹介しています。
カテゴリー「嵯峨 嵐山」をご覧くださいね。 
今回は紅葉が目的ですから、拝観はしていません。
観光客の方が多いので、オフシーズンにゆっくりがええですねlovely

                 コスモス

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京都・化野念仏寺へ紅葉を求めて

 二尊院を後にして、鳥居本の化野念仏寺へ向かいます。
足は少し疲れていますが、風景の素晴らしさに惹かれて・・・・happy01

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少し坂道になってきました。


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 化野念仏寺の前で人力車を見かけましたが、後ろ向きに引っ張って?おられますねhappy01それでも若き車夫さんはお客様に明るく話しかけておられます。

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 化野念仏寺は浄土宗のお寺です。山号は華西山。
化野は、鳥辺野(とりべの)と並ぶ平安京以来の葬送の地である事は有名です。
弘仁2(811)年、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされます。

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化野念仏寺の山門までの階段です。
 既に紅葉の木が目を愉しませてくれます。

私は今の時期は初めて訪れましたが、正直「こんなに綺麗やったのかheart04」でした。

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 次から次へ人・人・人・・・・
人の姿を入れないで撮る事は絶対sign01無理でした。
 
 法然が念仏道場を開き、念仏寺となります。
本尊は阿弥陀如来像(実際の作者は不明)、本堂は江戸時代の正徳2(1712)年に寂道により再建されたものです。
 境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治36(1903)年頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものとの事です。
境内には水子地蔵尊もあり、地蔵様の縁日には水子供養が行われています。
 暗闇にローソクが灯され、幻想的な行事ですね。

これから最後の目的である、愛宕(おたぎ)寺へ向かいます。
今までとは全く違った雰囲気の愛宕街道を歩きます。
             コスモス

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京都・落柿舎から二尊院へ紅葉を求めて

 常寂光寺を後にして、落柿舎へ向かいます。
落柿舎(らくししゃ)は、嵯峨野にある松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵です。(去来のお墓は質素との事です。)
去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」があります。

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 庭の柿を売る契約をしたのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれたとの事です。
 1691(元禄4)年4月から5月までここに松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著しました。現在の庵は俳人井上重厚による再建です。
場所も建物も芭蕉の時代のそれとは異なっているとの事ですが・・・・・。

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 平成20年12月から平成21年9月まで庵の大規模な修復工事が行なわれましたが、今はすっかり新しくなった萱ぶきの屋根に見事な紅葉です。

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 古い家の周囲には40本の柿の木があったとの事ですが、今は写真の1本しか無いように思われました。

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この辺りを歩いていると柿をあちら此方で見かけました。


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近くのお宅の玄関脇の庭にカラスウリがオブジェのようにhappy01

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落柿舎の前の畑です。
広々としていて、嵯峨野の雰囲気を満喫出来ます。

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 二尊院への登り口です。
見事な紅葉が続きます。
この道で、紅葉は満喫できますよgood

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 二尊院は、天台宗の寺院です。山号は小倉山。
詳しくは、「小倉山二尊教院華台寺」と言います。
二尊院の名前は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像によるとの事です。
 境内の墓地には、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎らのお墓があります。
総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られています。
奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所も有ります。
 
 この後、更に嵯峨野歩きは続きます。化野念仏寺へ向かいます。
                             コスモス

  

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京都・野宮神社から常寂光寺へ紅葉を求めて

 天龍寺を後にして、嵯峨野を歩きます。
最初の目的地である、野宮神社(ののみやじんじゃ)へ向かいます。
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この鳥居は黒木鳥居です。
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真っ赤な紅葉では有りませんが、やわらかい優しい色の紅葉が華やかです。
そして、若いカップルも華やかですhappy01

興味のある方はご覧下さい。 
ここの祭神は野宮大神(天照皇大神)です。
伊勢神宮に奉仕する斎王が、伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられています。
 天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王の中から新たな斎王が卜定(ぼくじょう・ぼくていと読みます。
意味は吉凶をうらない定めること)され、嵯峨野の清らかな場所を選んで作られた野宮に入って一年間潔斎した後に、伊勢神宮へ向かいました。
 その時の行列を「斎王群行」といい、現在では毎年10月の例祭において「斎宮行列」としてその様子を再現しています。


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途中で見かけた可愛い紅葉が緑の葉っぱの陰でひっそり・・・


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有名な、嵯峨野の竹林です。
竹林の中に、一本の未だ若い紅葉の木です。

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小さな池に姿を映しています
この時は残念ながら、日差しが無くて鮮明に映っていませんねcoldsweats02

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途中に有った料理屋さんですが、庭には竹が植えられています。


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途中で見つけました。
 緑の中の紅葉はその美しさを際立たせているようですね。


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常寂光寺です。写真では人影が少ないようですが、ここで写真を撮るのに随分時間がかかりました。
嵯峨野は観光客の方たちで、何処へ行っても賑わっています。

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無料の範囲、受付のぎりぎりの所で、写しています。


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興味のある方はご覧下さい。
ここは、百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望できます。
 秋は全山紅葉に包まれ、その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされます。
 
平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が、隠棲の地として当山を開きました。
 
小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備されたとの事です。
 この後、さらに嵯峨野を散策します。次は、落柿舎へ向かいます。
                  コスモス

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京都・嵐山の天龍寺に紅葉を求めて

 12日のコーラスの帰りに、ここ天龍寺へお参りしました。
実際は紅葉見物ですhappy01
 時々雲にさえぎられるものの、幸いにもお日様に恵まれて、想像以上に綺麗な紅葉を愉しむ事が出来ました。
 写真を整理していて、どれも載せたくて選ぶのに苦労しました。
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天竜寺の庫裡です。
 
 観光バスが数台入っていて、多くの観光客の方で賑わっています。
無料sign03で拝観できる所の紅葉で充分綺麗でした。
では、順番にお愉しみ下さいねlovely
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出来るだけ、色々な表情の紅葉を選んでみました。

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 ここらで、少し天龍寺について調べてみましょう。
 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院です
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 山号は霊亀山(れいぎざん)と言います。
寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称すします。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏です。
開山(初代住職)は夢窓疎石です。
足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、
京都五山の第一位とされてきました。
 「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。

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 如何だったでしょうか?
私は真っ赤よりも、赤・黄色・オレンジ・グリーンのグラデーションがより好きです。
この後、紅葉を求めて秋の嵯峨野を散策します。
     コスモス
 


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「菊花切り花展」のお花たち

 今年で24回目となる、菊の切り花展が府立植物園で開かれていました。
勿論、愛好家の方々の出展です。
 私は植物園の中で偶然知ったのですが、この日は京都御所の一般公開と重なって園内も展示室もちょっと寂しいようですねcoldsweats01
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 以前は菊の花はどれでも同じように見えて、あまり好きでは無かったのですが、
最近、其々の良さが感じられるようになりました。
これも歳を重ねたおかげでしょうかhappy01
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繊細で淑やかな風情が感じられませんか?

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一輪の花がとても可愛くて気に入りました。

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小菊も可愛いですね。
小さい木に見事に沢山の花を咲かせておられます。
残念ながら、展示室の場所によって、壁紙の色が異なります。
背景の大切さをしみじみ感じます。

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写真の撮り方が下手で・・・・
それとバックも薄い色の壁紙でボンヤリしていますね
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展覧会のおおよその感じは解って頂けたでしょうか?
        コスモス

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京都・祇園「石塀小路」を歩く

 最後の目的で有る、石塀(いしべ)小路を歩きます。
路地へ入ったとたん、両側に並ぶ家の基礎部分の石垣がまるで石塀のように見えます。風情がありますね。
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 石塀小路という名前の由来が容易に想像出来ますね。

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 京都はわりと坂の少ない町ですが、ここら辺は東山のふもとですから勾配がけっこうあり、建物の基礎部分を大きくとってるんでしょうね。
路に敷き詰められた石畳の一部は、昭和50年代に廃止された京都市電の敷石を移設したそうです。

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「ねねの道」の華やかさが考えられないくらい、人影が見えません。
人が居ないの何んとなく寂しく思って、人が来られるのを待ちました。
(遠くに男性の姿がみえまえすか?)


ここの歴史は意外に新しく、大正初期に誕生したとか言われています。 
ここもお茶屋・料理旅館・料亭・スナックなどざっと38軒が”石塀会”の会員との事です。
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 故石原裕次郎ら芸能界・歌舞伎役者・医師・室町の旦那らが出入りし、
戦前には日本画家堂本印象が住んでおられました。

 祇園にある多くの路が昔の情緒を失っている中、石塀小 路は伝統建築物保存地区に指定されてますから昔の風情をしっかり 残してます。
(「静かに」の貼紙が有りました)

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 入口が見つけにくく、人が少なく情緒的な雰囲気を味わえます。
路は右に折れ左に折れて袋小路かと思いますが、

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 下河原通へ出る坂道が見つかりました。
石の門?は歪んでいますね。管理は誰なのでしょうか?
 (尚、石塀小路には、以前に放映されていた、TVドラマ「京都迷宮案内」で新聞記者役の”橋爪 功”と警察の部長役”北村 総一郎”が下宿していると思われる「田舎亭」が有ります。)

下河原通に出て右手に、下の趣の有る老舗が二軒並んでいます。

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ここは、蒔絵・金工の「迦陵頻(かりょうびん)です。
何時も思いますが、京都は一筋入ると、タイムスリップしたような場所に出会う事が有ります。                
 八坂神社・円山公園・ねねの道から高台寺とご紹介してきましたが、今回が最後となります。お付き合い下さいましてありがとうございました。
                 コスモス

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京都「知恩院」から「ねねの道」「高台寺」へ

 さて、円山公園を後にして、知恩院へ向かいます。

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近くで見つけたのが、下の生徒を抱きかかえる「師弟愛」の像です。
 室戸台風の時に、崩れ落ちる校舎の下に7人の教え子をかばいながら、荒れ狂う天空に必死の加護を祈る先生、そして、必死に恐怖をこらえる幼子の姿です。
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 歌人の吉井 勇が
「かく大き 愛の姿をいまだ見ず この群像に涙しながる」と詠んでおられます。

少し、胸を痛くしながら「ねねの道」に向かいます。
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ここはしっとりとした中にも、華やぎが感じられますね。

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「ねねの道」も少し北を覗くと人影も無く、静けさが漂っています。

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 高台寺は人の姿が多そうですが、登ってみる事にしました。

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 中は大勢の観光客が来られている様子、入ることは諦めて境内の紅葉を探します。
一部しか撮れませんが、綺麗な紅葉を見る事が出来ました。

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 高台寺は京都市東山区にある臨済宗建仁寺派のお寺です。
鷲峰山(しゅうほうざん)と号し、詳しくは高台聖寿(しょうじゅ)禅寺といいます。
 豊臣秀吉の正室北政所は秀吉の死後、落飾して「高台院湖月尼」といい、一寺を建てて秀吉の冥福を祈ろうとしたところ、その意をくんだ徳川家康が、1605年(慶長10)ここに伽藍を建立して「高台寺」と名づけました。

 石段を下りると、外から霊山観音さまの姿が拝められます。
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慈愛に満ちたお顔に癒されますね。

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八坂の塔の綺麗な姿を撮ることが出来ました。

↓の写真は途中で撮った祇園閣です(大倉財閥の創始者・大倉喜八郎が別邸建設にあたり、敷地内に展望台を兼ねた建てた塔です)。
 塔の上方は祇園祭の鉾を表現しており「祇園閣」と言う名前になりました。
登録有形文化財です。
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この後、「石塀小路」を歩きます。


                 コスモス

       









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京都・円山公園を紅葉を求めて

 昨日の続きです。
八坂神社へお参りした後、円山公園に向かいます。
 東山山麓(さんろく)にある公園で、面積約8万6000平方メートル。
国指定名勝で、北は知恩院、西は八坂神社、南は高台寺の境内に接する便利な場所に有ります。
 明治維新後に取り壊された寺社跡に、1886年(明治19)開設された市内でもっとも古い公園です。
 池泉回遊式庭園で、野外音楽堂も(
若い時、ブラスバンド部員で、ここでクラリネットを吹いた事が有ります)あり、市民の憩いの場所として訪れる人が多いです。
 桜の名所として有名で、、「祇園(ぎおん)の夜桜」で知られ、とくに枝垂桜(現在の木は2代目)は有名です。

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見事に真っ赤に紅葉したモミジが有っりました。喜んでシャッターを押しましたが・・・写真に撮ったら期待外れです。

実際はもっと綺麗だったのですよ。
帰宅して、パソコンに入れてcoldsweats02
カメラが悪いのか、腕が悪いのか

 公園の樹木の中へ入ります。
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グラデーションの素晴らしい?紅葉を見つける事が出来ました。

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石のベンチに腰掛けて、読書している男性の姿がありました。

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池はこの石橋の両側に有ります。
ここは庭師小川治兵衛さんが造っています。
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動きのある鷺を撮りたかったのですが、全く無視されました。

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これは、京都に最初に産声をあげた、ラジオ塔です。
当時の人々は、ここまで来てラジオの声を愉しんだとのことです。
市内には、まだ幾つか残っている様です。

下のお二人は何方か解りますか?
そう、来年のNHK大河ドラマの主人公、「坂本竜馬」と「中岡慎太郎」のお二人です。お二人とも、正四位が贈られています。お公卿さんですね。
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多分、来年はこの銅像も日の目をみることでしょう。
 この後、「知恩院」から「ねねの道」を経て「高台寺」へ向かいます。
          コスモス

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京都・八坂神社へお参りしました

 京都人は八坂神社のことは親しみをこめて「八坂さん」と呼びます。
又、
かつての社名から「祇園さん」の愛称でも呼ばれます。
 9日の午前中、日差しの降り注ぐ中、久しぶりにお参りしました。
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 西楼門です。四条通と東大路通の交差する場所(東側)に有ります。
ここは、7月の
祇園祭(祇園会)で知られ、ほかに特殊神事として、大晦日の白朮(をけら)参りがあります。旧社格官幣大社
中世には二十二社の下八社のひとつとされました。
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時間が早い事も有って、境内にはまだいつもの賑わいは有りません。
四条通の騒々しさも埃っぽさも感じられません。
この緩やかなカーブは私のお気に入りですhappy01

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まず、本殿にお参りします。
心を清めてから、境内を散策します。

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 やはり最初は美の神さまで知られている、「美御前社」ですね。
若い娘さん達がお参りされています。
そして、↓の「身も心も美しく」美容水を手にとって肌に付けておられました。
効き目は有るのでしょうか。信じることが大切ですねlovely
「私ですか?」「勿論肌に付けましたわconfident
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境内には、冷静沈着なエビソードが残されている平 忠盛(清盛の父)の「忠盛灯篭」が有ります。
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南楼門から舞殿を写しました。

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南門を出たところに、老舗の料理屋さん「中村楼」が有ります。
門前では、ご主人自らが、掃除をされていました。

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途中で見かけました。着物の柄がトランプでした。
珍しくないですか?

ここは、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていましたが、慶応四年(1868年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、「八坂神社」と改められました。

又、八坂神社を総本社とし、素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする神社が、日本全国に約2300社あるとされます。
 この後、紅葉を求めて円山公園。
「ねねの道」「高台寺」そして、「石塀小路」と散策しました。  
           
順次ご紹介させて頂きます。  
                 コスモス                 

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京都府庁・旧本館とその界隈散歩 (その1)

 「京都府庁界わい・歴史を歩く」と言う、イラストマップを頂きましたので、早速マップを片手にカメラも添えて、その一部分を歩きました。
 マップには、発行:京都府・府庁旧本館利活用応援ネット、企画発行:NPO法人京都観光文化を考える会・都草 と書いてあります。
説明は、このマップに依らせて頂きました。

 まず、この周辺地域の歴史についてですが、何時もの如く(その2)に書きましたので、もしご興味があればご覧願います。

 始めに、京都府庁の旧本館を見学しました。明治37(1904)年12月20日の竣工です。昭和46年まで府庁本館として使われていました。
 平成16年には、国の重要文化財に指定されました。
ルネサンス様式に属する建物の外観は、正面の一段高くなった屋根を中心に左右両翼に対称に張り出した形になっています。
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 内部も公開されています。
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 玄関を入って直ぐの左に、この様な展示があります。
屋根に付けられていた飾りの様です。

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 2階への階段を上から撮りました。凝った意匠ですね。

 旧知事室の入り口です。格式を感じます。
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 旧知事室は、2階の南東角にあり、東側の窓からは比叡山が望むことが出来ます。67年間・24人の知事が使用していました。

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 旧知事室内の備品類です。

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 この様な物も有りました。ストーブですね。

 知事室に続く「正庁」があります。旧本館のシンボルとなる部屋です。
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天井しか撮っていませんが、和風建築の中でも格式の高い折上小組格天井で仕上げられた広がりのある部屋です。
今日まで数多くの公式行事や式典などが行なわれています。

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2階から出るバルコニーです。前方の通りは「釜座通」(かまんざどおり)です。
昭和37年には、人類初の有人宇宙飛行を成功させたガガーリン少佐が、ここで府民の歓迎に応えたそうです。

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 2階の廊下です。敷かれた赤いジュウタンの色が、天井や壁に反射して、柔らかな雰囲気を醸し出していました。

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 中庭の様子です。中庭には、昔の五条大橋の橋脚の石柱などが置かれていました。

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 現在の京都府庁・庁舎1号館です。右手に見えるのが、旧本館です。

 この後、庁舎の敷地内や周辺の史跡などを回りました。
後日ご紹介します。

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京都府立植物園・観覧温室のお花たちと・・・

 小さい花の撮影が大の苦手です。お仲間の皆さんは綺麗に撮られていて、「マクロレンズで撮らなければ・・・」とのお言葉゛。
それで、奮発sign02して中古のマクロレンズを買いました。
11月3日、早速、府立植物園の観覧温室へ向かいます。

 撮った写真の半分以上はピンボケcoldsweats02(「まあ、最初やしええか」と明るいB型ですhappy01
とりあえず、ボケ具合が少しマシなのを選んだのが下の写真です。
名前は調べませんでした。それどころや無いhappy02
 まず、園内の少し紅葉した木とサザンカの花をご覧くださいね。
勿論、普通のレンズです。

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サザンカは解り難いですね。


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これは葉っぱの一部だけが紅葉し始めていました。
私は、真っ赤も好いですが、グラデーションも好きです。(これは11月3日の状態です。今はもっと紅葉しています。)

では、本日のメインエベント「観覧温室のお花」ですgood
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言い訳ですが、観覧温室は植物のために、湿度と室温を保つ雰囲気にしてあるため、直ぐにレンズが曇るのですねcoldsweats02

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如何でしたでしょうか?

 それでは、又、レンズを付け直して(ホッとしますlovely
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椿園には「菊冬至」の名前の椿が咲いていました。
季節感が無くなりましたね。
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バラの花のようですね。
 これから、出来るだけマクロレンズ
を使う練習をしょうと思っています。
時々ピンボケをupさせて頂きますが、暖かい目でご覧下さいねconfidenteye
                 コスモス

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