京都市内の大路・小路を歩く 三条通 (その2)
京都市内の大路・小路を歩く 「三条通」 (東西の通り)の続きです。
漸く、河原町通まで来ました。その(1)「三条大橋からは」こちらです。
手前が河原町通(南北の通り)で、正面が三条通の入り口となります。
三条商店街に入って、すぐの右側の上にこの様な不思議なものが掲げられています。右下はトリミングしてみました。
これは、昔から有名な「みすみ針」の看板です。
かなり年季が入ったものの様です。
近松門左衛門作「浦島年代記」に「高麗も唐土も及ばじ」とみえる京名産随一と書かれているとか。
お店は、ビルの中の奥にありますが、まだ開店していませんでした。
京都の繁華街の1つ、「新京極通」です。向こう側ずっと奥が四条通になります。
明治になって、当時の知事が京都再生策の1つとして造った通りです。
かっては映画館や演芸館(花月もありましたよ)などが並んでいましたが、近年大きく様変わりしました。お土産屋が多いですね。
修学旅行生のメッカでもあります。まだ朝が早いので、人通りも少ないです。
寺町通との角にある、お肉とすき焼きのお店「三嶋亭」です。
明治の文明開化の1つのシンボル「牛鍋屋」ですね。一度入りたいと思いつつ高そうなので、躊躇しています。
ここから西に進むに従って、明治・大正から昭和の初期に建てられた建物群が続きます。これからの説明には、立命館大学文学部歴史回廊プロジェクト巡見の資料の一部を使わせて頂きました。
まず始めは、「1928ビル」です。1928(昭和3)年に建てられた、旧毎日新聞京都支局のビルです。写真を眺めて何かお気付きになりませんか。
そうなんです。ビルの前面は人の顔です。そう思って見れば、その様に見えませんかね。
かっては、この通りには有名新聞社の京都支局が並んでいました。
最後までここに留まっていたのが、毎日新聞社でした。
これは、「弁慶石」と言われているものです(石碑の文字が見えますか?)。
傍に置かれている説明板によりますと、この石は弁慶が熱愛したと謂われていて、弁慶は幼少の頃三条京極(今の寺町三条辺り)に住んでいました。弁慶は奥州高館で亡くなりましたが、この石はその場所にあり、発声鳴動して三条京極まで飛んできたそうです。ところがその場所で熱病が流行り、土地の人びとが恐れて近くの寺に移し、以来この町が「弁慶石町」と言う様になったとのこと。
幾多の変遷を経て、昭和4年にここに落着いたそうです。
弁慶と言う人は、いろいろと逸話の多い人ですね。
三条富小路にある「京都ダマシンカンパニー」と今は呼ばれているビルです。
明治23(1890)年頃に建てられたもので、元は「家辺徳時計店」でした。ビルの上には時計塔が立っていたそうです。
三条柳馬場にある「日本生命保険京都三条ビル」です。大正3(1914)年に建てられたものです。昭和59年に改築され、東側半分はこの様に保存されました。
「三条通」歩きも、ここらで一寸一服しましょう。暖かいコーヒーでもどうぞ。
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